樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

戦後からの脱却(Y-68)

女性総理の誕生

1945年12月GHQの指示により選挙法が改正され、女性に参政権が与えられてから80年、遂に憲政史上初の女性総理が誕生しました。

その結果、G7の中で未だ女性首脳を経験していない国は、20年早く女性の参政権が認められている米国のみとなりました。

現在のところ、国連193か国の中で女性首脳が現職にあるのは27か国、その中にはイタリアのメローニ首相、メキシコのシェインバウム大統領など、いずれも女性初ながらなかなかの”女傑“ぶりを発揮しています。概して、世襲でない女性政治家は激しい傾向があるようにも見えますが、高市新総理も負けてはいません。いきなり公明党との連立を解除したのには驚きましたが、それはおそらく、長きにわたる日本の低迷の一因が、ブレーキ役を公言してきた同党との連立にあると見ていたからで、やる気と覚悟が感じられます。

自民党内には、“公明党は最後には折れる”という見方も多かったようですが、実のところは、“自民は折れる”とみていた公明党側が新総理を甘く見ていたのかもしれません。

10.26に実施された毎日新聞世論調査によると、内閣支持率は65%と高く、“公明党離脱を評価するか”という問いに対しては、”評価する“が61%で“評価しない”の7%を大きく上回りました。

また、政党支持率では自民26%(+7)、維新8%(+4)に対して、野党側の支持率は国民5%(-5)立憲7%(-2)参政5%(-3)と大幅に下がってしまいました。毎日新聞の調査は、毎回自民に厳しい傾向がありますが今回も同様で、他の調査では概ね5~10%高い内閣支持率になっています。さらに、首相就任直後からの外交に対する評価や所信表明なども好感されている様子なので、直近の支持率はより高くなっているものと推定されます。

新総理は、日本の成長分野など重点施策をリストアップし、それぞれ担当閣僚を指定して”みんな働け“と号令を発しました。しかし難題はその財源です。

その根底には、いわゆる“ザイム真理教”の厚い壁が立ちはだかっています。

この言葉は、森永卓郎の著書から生まれ流行語の一つにもなりましたが、ひとことで言えば財務省の「財政均衡主義」が日本の経済政策を歪めているという主張です。其の元となっているのは「財政法」であり、具体的には第4条の“国の歳出は公債又は借入金以外の歳入を以てその財源としなければならない”という条項です。例外として公共事業などは国会の議決を経た範囲内で公債を発行できることになっていますが、原則としては税収内で予算を組めというわけです。

ところが、この財政法が成立したのは昭和22年、つまりGHQの施政下で作られた法律です。なのでこの原則は、日本が再び米国の脅威にならないように設けた“あしかせ”ではないかとも見られています。これまで財務省は、日本の財政は破綻寸前であると脅しをかけつづけ、増税と緊縮財政に命を懸けてきました。しかし近年では、現代貨幣理論(MMT:Modern Monetary Theory)の”自国通貨を発行できる主権国家は理論上財政破綻することはない“という説が主流となっています。日本に当てはめれば、”国債が円建てである限りその返済は自国通貨(日銀券)を新たに発行して充てることができる“という考え方です。現に、これまでも国債の償還は”借り換え“によって行われてきました。国債発行などによる債務残高は1300兆円を超えているそうですが、それは国の借金ではなく国民の借金でもありません。あくまでも政府の借金であり、資産とのバランスで見れば何ら問題ないという専門家の意見が説得力を持つようになりました。

とは言え、財政法の改訂には時間がかかりますので、新政府の財政出動は「特例公債法」に頼るしかなさそうですが、景気が回復すれば税収も増えるので、プライマリーバランスの評価を複数年度で行うという方針は理に適っていると思います。

かつて女性初の主計官を務めた経験のある片山さつき財務相とのコンビは、大いなる期待を抱かせてくれます。

戦後80年

今年は戦後80年という節目に当たるということで、いわゆるオールドメディアでは“戦後”という文字が目立ちました。

筆者が購読している毎日新聞の力の入れようは大変なもので、8月7日の朝刊は1面トップが広島の「平和記念式典」、3~5面、スポーツ面、社会面に関連記事、さらに11面は特集記事で埋めつくされました。そして、その後も戦争の傷跡や不条理、理不尽といった様々な悲劇を掘り起こし「戦後80年」というシリーズを1か月余り続けたのです。そしてようやく終わったかと思えば、今度は「迫る」というシリーズに名を変えて現在も同様の特集記事を継続しています。その熱意と執着には感心しますが、いささか違和感を覚えるのも正直なところです。

違和感の始まりは、広島の平和記念式典における子供代表(男女二人)のスピーチでした。そのスピーチは、

“いつかはおとずれる被爆者のいない世界。同じ過ちを繰り返さないために、多くの人が事実を知る必要があります。原子爆弾が投下されたあの日のことを思い浮かべたことはありますか・・”で始まりました。

二人が生まれるよりもはるか昔の悲劇を”その日“ではなく“あの日”と呼んだのは、被爆者の目線で語ろうとしたのでしょうか。しかし筆者には、“あの日の出来事を二度と繰り返さないために、私たちが被爆者の方々の思いを語り継ぎ平和をつくりあげていきます。”と小学生に語らせた大人の魂胆が感じられるのです。小学生まで巻き込まなくても・・と言いたいのです。それは、「教育勅語」を園児に暗唱させたあの「森友学園」の時と同じような“気持ちの悪さ”です。大袈裟に言えばヒットラー・ユーゲントや紅衛兵を思い浮かべてしまうのです。

そもそも原爆の悲劇を語ることは核兵器廃絶につながるのでしょうか。その恐怖と悲惨を語れば語るほど核保有国はそれを”手放せなくなる“のが現実です。日本がなぜ被爆国になったのか、それは当時アメリカだけが核を所有していたからでしょう。もし日本も核を保有していたならば原爆の投下どころか、日米戦は避けられたに違いありません。核保有国でその廃絶を唱える国はありません。削減の動きが時々みられるだけです。

核のない世界=平和な世界という観念はあまりにも単純です。残念ながら、核兵器が第Ⅲ次世界大戦を防いでいるという現実は否定できないのです。今日、核兵器を秘密裏に或いは平和利用と偽って開発する能力を持つ国家は少なくありません。懸念すべきは核の拡散であり、最も恐れるべきはテロリストなどの手に亘ることでしょう。深読みすれば、核廃絶の活動は裏では核保有国に歓迎されているのかもしれません。

しかし、2022年2月に起きたロシアのウクライナ侵攻は世界に衝撃を与えました。核保有国が核を持たない国に戦争を仕掛けた時、それを止められるものがいない現実です。わが日本の安全保障環境は著しく悪化したと言わざるを得ません。

戦後からの脱却

“もはや戦後ではない”というフレーズが「経済白書」に登場したのは1956年(S31)でしたが、それから70年近く経っても我が国では何かにつけて「センゴ」という言葉が飛び交います。そこには“いつまでも戦後でありたい”と言う願いが込められています。つまり、この先の世代に二度と「戦前」が在ってはならないという決意です。しかし、戦後の平和運動はあまりにも観念的です。確かに80年間平和が保たれてきた実績はありますが、日本はこのままでいいのでしょうか。そして奇跡の復興を遂げた後、”失われた30年“とも呼ばれる長い停滞が続いているのは何故でしょうか。そう考えた時、たどり着く先はGHQが残していった”呪縛“です。

GHQは、“日本が再びアメリカの脅威にならないように”7年間にわたり日本を支配下に置き、ありとあらゆる改革を行いました。

先ず1945.11、「治安警察法」が廃止され、次いで12月「選挙法」の改正によって翌年には39名の女性衆議院議員が誕生しました。そして、軍と財閥の解体、農地改革、新憲法制定へと進み、天皇制は”象徴“として残したものの、昭和天皇の弟君が起こした直宮3家を除く11宮51人の皇族身分を奪いました。細かく見れば、「刑法」「民法」をはじめ「学校教育法」「裁判所法」「刑事訴訟法」「警察官職務執行法」「弁護士法」など主だった法律のすべてが新憲法の趣旨に従って改定又は新設されました。労働組合などの組織も奨励され、「日弁連」「日教組」「学術会議」などもこの時期に生まれています。極め付きは、約2年をかけて20万人に及ぶ各界の有力者を公職追放したことでしょう。とくに言論や教育界など、世の啓蒙を担う業界で保守層が追放され、左翼思想の人物が取って代わったことはその後に大きな影響をもたらしました。GHQに新旧20万×2の人選を行う能力があるはずもなく、共産党員などの協力支援があったことが知られています。

またこれらに並行して、戦争犯罪を裁く軍事裁判が行われ、東京では「極東国際軍事裁判」が開かれ、28名が起訴され7名が死刑判決を受けてS.23.12.3に刑が執行されました。その日は皇太子の誕生日で、なんだか悪意が感じられるような日にちでした。

GHQが行ったこれらの改革には当然不満もあったでしょう。しかし、国民も言論界もその声を上げることは出来ませんでした。皮肉なことに、憲法では言論の自由が保障されながら、言論は厳しく制限を受けていたのです。一方、天皇がS21年から全国各地の巡幸を始めるや、国民は天皇が無事であったことに胸を撫で下ろし、戦後復興に力を注ぎました。敗戦によって利益を得た左翼あるいはリベラルにとっては「新憲法」がバイブルになり、国民もまた「主権在民」「戦争放棄」「基本的人権」を歓迎しました。なによりも、憲法前文の理想主義に酔わされました。そして、“政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。”という文言は、自分たちにも戦争責任があると薄々感じていた国民にとっては免罪符のようのように感じられたことでしょう。

こうして国民の価値観は大きく変容し、日本的な伝統や習慣は軽視され、規律なき自由、人権という名の特権、悪平等がはびこりました。日教組は国旗や国歌には根拠がないと日の丸・君が代を否定し、運動会の万国旗から日の丸だけを取り外すなどと言うことまでやりました。そして近現代史はどう教えるべきかが分からず、昭和の時代が分からない生徒ばかりといった現象がおきました。瞬く間に敵将マッカ―サーは人気者になり、鬼畜米英は友好国へと逆転しました。GHQは見事な成果を上げたというべきでしょう。しかしそれもつかの間、1950年6月予期せぬ事態が発生しました。朝鮮戦争の勃発です。

余談になりますが、日本の敗戦によって極東の勢力図は激変しました。中国では本来犬猿の仲である蒋介石(国民党)と毛沢東共産党)が手を結んで(国共合作)対日戦を戦っていましたが、日本が敗れるとすぐに内戦が再開し、敗れた蒋介石は日本の統治から戻されたばかりの台湾に逃れ、中華民国の支配圏は台湾のみとなりました。それでも1971年までは台湾政府が中国を代表する政府であり、国連の安保常任理事国だったのです。したがって、戦後結ばれた平和条約の相手は台湾政府でした(「日華平和条約」1952.4.28)。中華人民共和国は9月3日を「抗日戦争勝利記念日」として毎年行事を行いますが、中華人民共和国が成立したのは戦後(1949.10)であり、日清戦争は「清」、元寇は「元」との戦いですから、厳密に言えば今の中国と日本は戦争していません。

また日本の支配から解放された朝鮮半島は分裂国家となりましたが、いくらも経たないうちにソ連中共の支援を受けた北朝鮮が、力による統一を目指して一気に侵攻してきました。そこで米軍を主体とする国連軍が韓国の支援に回り、38度線付近で膠着して休戦状態となり現在に続いています。この戦争でマッカーサーは、真の敵は共産主義であることと日本がやむなく対米戦に踏み切った立場を理解したのでしょう。日本に再軍備を勧め、それが自衛隊の前身警察予備隊(1950)の設置に繋がり、彼の議会証言“日本が戦争に踏み切ったのは[security]の為だった”(1951.5.3)へと発展します。しかし、この発言は猛反発を受け、大統領を目指していた彼は失脚します。

実は新総理、以前にこの“securityのため”という表現をつかったことが在ります。

それは、23年前(2002.8.18)のサンデープロジェクト(テレ朝)で、田原総一朗に”満州事変以降の戦争は日本にとって自存自衛の戦争だったかと?」と問われた時のことでした。当時田原氏は、保守的な政治家などをターゲットに同じ質問を繰り返してレッテル張りをしようとしていたのです。高市議員の頭には、おそらくマッカーサーの証言があったのでしょう、”securityの為”と応えました。すると田原氏は激昂し”下品で無知な人がバッジ付けて・・・”と口汚く罵りました。これに新聞なども同調し高市議員は次の選挙で落選しました。そして今回、10.19の討論番組「激論!クロスファイア」での発言です。それは「選択的夫婦別姓」に関する議論の場面でしたが、彼は“高市に大反対すればいいんだよ、あんな奴は死んでしまえばいい」と発言したのです。さすがに無事にはすみませんでした。彼は謝罪を余儀なくされ、生放送ではないのにそのまま流したBS朝日の姿勢も批判を浴び、この番組は中止となりました。そうさせたのは主としてSNSによる情報の拡散です。SNSはオールドメディアによる情報世界の”アンタッチャブル“を次々に破壊しています。

話を戻します。

新総理は、総裁選の所信演説会の中で“日本を今一度せんたくいたし申し候”という坂本龍馬の言葉を引用しました。その言葉が具体的に何を指すのか、聞けば新内閣が掲げた17項目に重点を置く総合経済対策であると答えるかもしれません。しかし筆者には、より根本的な願いが込められているような気がします。それはGHQが残していった戦後の枠組みからの脱却です。言い換えるなら「東京裁判史観」あるいは「自虐史観」とも呼ばれる歴史観です。贖罪意識を後の世代にまで押し付け、萎縮させてはいけないというものです。

そして、これこそが日本を停滞させているブレーキの本体ではないかと思うのです。

冷静にそして客観的に見て、戦後の日本は謙虚に反省し、歴史上類を見ないほどの償いをしてきました。今や世界における好感度はトップクラスです。中・韓の”反日”は、”国内の不満そらし“と”嘘の建国物語を構築する“ための政治活動とみるべきでしょう。

日本の未来に重くのしかかっている通称リベラルの歴史観をたどれば「憲法」にたどりつきます。しかし、この憲法の改正を党是に掲げ1955年に合体した自由民主党は、何度か訪れたチャンスにも臆病でした。成立時には共産党にまで反対された憲法も、時を経て広く国民に愛されるようになりました。日本は憲法によって守られてきたと信じる国民は少なくないのです。今や矛盾だらけで“死に体”とも言うべき憲法が、なおも生き延びているのは何故でしょうか。それは、時代を先取りしたようなひとつの”理想型”が掲げられているからかもしれません。理想はいかなる現実の前でも光を放ちます。しかし、残念ながら抜き差しならない争いの種にもなるのです。「八紘一宇」「共産主義」も一つの理想です。「宗教」や「グローバリズム」もそうかもしれません。いや、憲法が掲げる理想は、「平和」「自由」「平等」「人権」といったものだという反論もあるでしょう。しかし、それらには実体がありません。畢竟現実の社会は、実体として存在する「不自由」や「不平等」といったものをどこまで我慢できるかという“折り合い”の問題です。人は何かにつけて、よりよさそうな道を選択し、壁に当たるか間違いに気づくまでその方向に進むしかありません。

その民族にとって心地よい伝統や習慣を尊重しながら、最大多数の幸福を追求する生き方、それが「保守主義」だろうと考えます。

衆参ともに少数与党の新総理に「憲法改正」を期待するのは酷かもしれませんが、やはり期待せずにはいられません。しかし、野党は皆「護憲勢力」かといえば実はそうでもなく、問答無用の絶対反対派は、共産、社民、れいわ、立憲の一部くらいで大した数ではありません。オールドメディアは”発狂するかもしれませんが、彼らには、世論を形成する力と責任があると胸を張りながらも、むしろ世論に迎合してきた恥ずべき歴史があります。そうでないと”商売”にならないからです。現憲法の問題点や欠格事項などは既に語り尽くされているので、部分改正ならさほど時間はかからないでしょう。欲を言えば、あの下手な翻訳調の文章全体を書き直してほしいと思いますが、とりあえず、憲法も”アンタッチャブル”ではないことを示してほしいと思います。

新総理は松下幸之助が私財をなげうって設立した「松下政経塾」の第5期生です。

卒業生の進路は多岐にわたり政治家の道に進んだ者も与野党を問わないところがこの塾の”ミソ”でもあります。その中から初の女性総理が誕生したことを、故松下翁も草葉の陰できっと満足し応援していることでしょう。

新総理のあまりのロケットスタートには心配するところもありますが、ぜひ頑張ってほしいと思います。

                        2025.11.17