樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

○○の秋(J-122)

1000年の昔、清少納言は後世に残る「枕草子」を“春はあけぼの・・”と書き起こした。

数ある文学作品の中でも、これほど知られた書出しはないかもしれない。

しかし、じゃあ夏は?秋は?冬は?と聞かれると、自信をもって答えられる人は案外少

ないのではないだろうか。

聞けば思い出すかもしれないが、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて(早朝)に趣があ

るとこの才女は続けている。

その賛否はともかく、例えば「秋」についてはこんな具合だ。

”秋は夕暮れ、夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて三つ四

つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの連ねたるがいと小さく見ゆ

るは、いとをかし・・・“

その所為でと決めつけるつもりはないが、童謡や唱歌に歌われる「秋」は、次のごとく

夕暮れ時の場面が多い。

# 夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われてみたのはいつの日か

# 秋の夕日に照る山紅葉 濃いも薄いも数ある中で

# 夕空晴れて秋風吹き 月影落ちて鈴虫鳴く

私の秋のイメージも、やはり鄙びた山里の夕暮れどきである。

ほぼ刈り取られた田んぼの向こうに少し紅葉した山があり、近くに見える農家の傍の柿

の実に夕日がさしているといった風景だ。そこにお寺の鐘の音が聞こえてくれば、まさ

正岡子規の“柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺” がぴったりはまるような情景なのだ

が、ここでふと気になったのは「秋」という漢字の成り立ちである。

「禾」は稲の象形であることは知っている。それに「火」を並べてどうして「秋」の意

味になるのだろうか。

調べてみると、「秋」の元の漢字は「禾」の下に「火」を書いてそれを辺とし、その右

に「亀」の字を並べたものであったらしい。その成り立ちは少々ややこしいが古代中国

の占いに起源がある。

当時は亀の腹甲を乾燥させて薄く加工したものに穴をあけ、そこに桜などを燃やした熱

い木片を差し込んで生じたひび割れの状態で吉兆や方角を占うといういわゆる「亀卜」

の風習があった。その亀を捕獲するのが秋季で、また穀物を収穫する時期でもあったた

め「禾」を加えたのだという。

ちなみに、春は「くさかんむり」+「屯」+日で、日を浴びて草がむらがり生えるさ

ま、夏は冠やお面を付けた人が踊る夏祭りの姿、冬は糸の結び目の最後の部分を表して

おり、秋に比べれば断然分かり易い。

季節には、それぞれその季節を代表するような「○○の」(春・夏・秋・冬)と言った

言葉があるが、秋は、・食欲の・スポーツの・行楽の・読書の・実りの・芸術のと言っ

たように、その言い回しが圧倒的に多いように思う。

余計なお世話だが、ついでに、注意を要する慣用句を二つ付け加えておこう。

その一つは、時候の挨拶などにも使われる「天高く馬肥ゆる秋」という言葉である。

この言葉の由来は次のようなことらしい。

前漢の時代、趙充国という将軍が匈奴姜族が連合して漢を攻めようとしていることを

見抜き、「馬が肥える秋」には必ず事変が起きると警告した。この故事を、初唐の詩人

杜審言(杜甫の祖父)が詩の一節に次のごとく引用した。

“雲浄くして妖星落ち 秋高くして塞馬肥ゆ”

塞馬とは匈奴の馬のことであり、元々の意味は、その馬が肥える秋には彼らが攻め入っ

てくるぞという警告であったものが、“天高く馬肥ゆる秋”に変化するとともに”いい季節

になりました“へと変化したのである。だから、時候の挨拶に”天高く馬肥ゆる秋“を使う

ことはまあ許されるとしても、なまじ元の言葉を知っているからと”秋高くして塞馬肥

ゆる・・“とやると笑われる。

もう一つは、”危急存亡の秋“という言葉だ。

この言葉の由来は、「三国志」にある。

三国志の主役とも言うべき諸葛亮孔明は、劉備玄徳の後を継いだ劉禅に対し、今こそ先

帝の志を受け継ぎ魏を討つ時だとして「出師の表」を上奏した。

危急存亡の秋」はその冒頭の部分にある。

 “臣亮もうす

 先帝いまだ半ばならずして中道に崩ソせり。今天下は三分し、益州は疲弊す。

 これ誠に危急存亡の秋なり。“

というもので、二流政治家などが使いそうな言葉なのだが、この「秋」は{あき}では

なく(とき)と読む。「秋」には「大事な時」という意味もあるのである。

だから「危急存亡の時」と書いたり、「危急存亡のあき」と読んだりすると笑われる。

 

はたして、いま”危急存亡の秋”を迎えているのは、ウクライナかロシアか・・・私には

これら二国よりも韓国のように見えるのだが、実は案外この日本なのかもしれない。

いずれにせよ、何かと物思いにふけることが多くなるのが「秋」でもある。

                       2022.10.6

 

 

 

「秋」は何かにつけあれこれ考えさせられる季節でもある。