何ともお粗末な事件である。取り上げるのもアホらしいとは思うのだが、ある意味現代
日本の縮図のようにも感じられるので、遅ればせながらこれに噛みついてみたい。
発端は、「新型コロナウイルス対策臨時特別給付金」の事務処理における単純なミスである。
先月(4月)8日、山口県阿武町の担当者が、該当者463名に対する10万円の給付手続き
を行ったが、その際何を勘違いしたのか、それとは別に全額分の4630万円を一人に振り
込むというミスを犯してしまった。100万程度の引き出しや振り込みでもチェックが入
る昨今、この作業がすんなり行われたことに「?」も付くが、その結果として一人の若
者(T)に合わせて4640万円が振り込まれてしまった。銀行側からの指摘によりミスに
気付いた同町はTに事情を説明し、Tは返還手続き(組み戻し)に同意した。ところが、
Tは銀行まで市職員に同行したもののその場で翻意し、その後給付金のほぼ全額を10日
間のうちに使用または移送したうえ、「金はすべて使った、罪は償う」と開き直った。
大騒動のなか、ようやく5.18になって県警がTを逮捕し、5.24には大部分の約4300万円を
確保したと阿武町が発表した。
“やれやれ”というところだが、一件落着どころか実はそれでは収まらない。
4300万円は決済サービス代行業者が黙って町に振り込んだものであり、なんだか不透明
かつ不気味でもある。騒ぎはしばらく続くだろう。
ここまでの経緯を少し詳しく見てみよう。
4.08 阿武町が4630万円を誤給付したことを確認
Tの自宅を訪問、銀行に同行するもTは手続きを拒否しこの日は時間切れ
夕刻、町は銀行に対しTに払い戻しをしないよう依頼する公文書を発送
同日 Tが早くもデビット決済で約68万円使用
4.10 Tから町に弁護士と相談する旨の電話
4.11~12 Tに連絡が取れない状態が続く
4.12 町はホームページでTの住所氏名を公表
町長が「このようなことが起きるとは夢にも思わなかった」とコメント
4.14 Tの母親と副町長がTの勤務先で面会するが物別れ
4.15 Tの弁護士から「返還手続きの日時が決まったら連絡する」と通知
4.10~18 30数回にわたってほぼ全額を出金(他口座などに振り込み)
4.21 Tが町職員に「金は動かしたもう戻せない、罪は償う」などと発言。
5.12 町が全額返済を求め提訴
5.18 山口県警が「電子計算機使用詐欺容疑」でT(田口翔、24歳)を逮捕
5.24 町が約4300万円を確保したと発表
以上の通りであるが、ツッコミどころ満載だ。
先ずは「新型コロナ対策臨時特別給付金」そのものについてである。
第1回目の一律給付が“バラマキ”と批判されたこともあり、今回は給付対象者を「令和3
年度の住民税非課税世帯」とした。つまり令和2年の年収が概ね100万円以下の世帯が対
象である。令和3年以降月収が同等レベルに減った世帯は申請しても良いことになって
いるが、逆に増収したケースは何もせずとも支給対象となる。まさに今回の田口容疑者
がそれだ。
彼はホームセンターの正社員であり(事件発生後退職)約20数万円の月収があった。
だから本来は支給対象外のはずである。こんなケースはおそらく山ほどある。日本は極
端に個人情報が保護されているので、行政側にとっても国民個々の懐具合は霧の中であ
る。果たして本当に困っている人に届いているかとなると疑問符が付く。
一時はアクセスが集中して繋がらなかった阿武町のホームページをみると、同町の世帯
数はわずか1528である。人口3000人足らずの過疎の町だ。そのうち給付対象者が463世
帯、なんと1/3が該当するというわけだ。
このような過疎の町が貧困にあえいでいるかというと案外そうでもない。収入は少なく
ても穏やかに暮らしている。福祉もそれなりに充実している。
町長は「こんなことが起きるとは夢にも思わなかった」と言い、「油断があったかもし
れない」と反省の弁を述べた。が、同時にミスをした担当者をかばう発言もあった。
つまり、少々意地悪な解釈をすれば、“ちょっとしたミスがこんなことになると・・”と
いう感覚なのだ。とにかく、すべてが穏やかで平和なのである。
この事件は、皆がのんびり構えている中で、一人だけフルパワーで頭を働かせている奴
がいたことによって思わぬ方向に発展した、日本ならではの事件だとも言えよう。
しかしながら、4.21にTが金はもう戻せないと開き直ってからの町の動きは素早くかつ強
力であった。まず、税金滞納者の財産を調査する名目で帳簿類を検査できるとする国税
法の規定を強引に(?)適用して銀行の情報を入手し、金の流れを突き止めた。これに
より、オンライン決済代行業者が自身に調査の手が及んでくるのを恐れ(?)、関係す
る3社が揃って約4300万円を町の口座に振り込んだ。その金は業者の”立て替え”かも知
れず、真相は不明のままだが、とりあえず町は約9割を取り戻したことになる。
次は逮捕容疑となった「電子計算機使用詐欺」についてである。
この罪名は1987年に「詐欺罪」の一つとして新たに加えられたものだ。
元々は「他人のクレジットカード情報を使って通販サイトで買い物をする」といったよ
うな人が介在しない(つまり誰も騙されない)犯罪が頻発したために作られたと言われ
ている。このネーミングのセンスの無さには恐れ入るが、どうも今回の事件にこの罪名
はマッチしていないような気がしてならない。
刑法の条文(刑法46条の2)は次の通りだ。
前条(従来の詐欺罪)に規定するもののほか、人の事務処理に使用する電子計算機
に虚偽の情報若しくは不正な指令を与えて財産権の得喪若しくは変更に係る不実の
電磁的記録を作り、又は財産権の得喪若しくは変更に係る虚偽の電磁的記録を人の
事務処理の用に供して、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者は、
十年以下の懲役に処する。
素人目にはこの条文は、「この罪はコンピューターに虚偽の情報を入力したり、不正に
利用したりして不法の利益を得る行為」と読めるので、Tの行為がこれに該当すると言
われても何だかすっきりしない。Tは最初に町職員が訪問した時点で、誤振り込みであ
ることを認識し「組み戻し」手続きにも応じようとしていたのであるから、8日にデビ
ット決済があった時点で「横領罪」が成立し、直ちに逮捕もありえたのではないかとい
う素朴な疑問が残る。
次に、何故このようなミスが起きたのかである。
給付金の手続きは、すべての自治体にとって初めての事務処理ではなく、すでに経験済
みの作業である。当然ながら“どうして?”という疑問が湧く。
実は阿武町の担当者はベテランの女性職員の異動により新人職員に替わっていた。
そして、データのやり取りには何とフロッピーディスクが使われていた。銀行側の意向
らしいが、今の若者にはなじみがない代物である。おそらく銀行側の担当者もそうであ
ろう。事件は田舎町のそういった環境と偶然の下で発生したともいえるだろう。
最後に今後への影響がある。騒ぎはこのままでは終わりそうにない。
決済サービス代行業者が、ストックされていたとみられる4300万円をあっさりと返金し
てきたことで、オンラインカジノに対する懸念は拡大・増幅した。
日本で認められているのは公営ギャンブルだけである。しかし日本人が海外のカジノで
ギャンブルに興じても逮捕されることはない。では、Tが誤給付金を使ったというオン
ラインカジノはどういうことになるのだろうか。これが合法か違法かについては、実は
はっきりしていない。というか、オンラインカジノをやったからと言って逮捕されるこ
とはない。但しそれが外国政府のライセンスを受けたものでなければ違法となる。例え
ば、インターネットカフェ・カジノなどは違法である。
観光立国を目指す日本は、2016年12月「総合型リゾート(IR)整備推進法案」、(通称
カジノ法案)を成立させた。当初は2020東京オリンピックに合わせてオープンとも言わ
れていたが、新型コロナの影響もあって活動が中断された状態になっている。しかし、
すでに「IR推進法」、「IR推進本部設置」、「IR整備法」、「ギャンブル等依存症対策
基本法」、「カジノ管理委員会発足」と段階は進み、2020.12には「IR設置の基本方針」
が策定されている。あとは「候補地の正式決定」、「IR事業者の選定」を経て「開発・
開業」の運びとなる予定だ。最も有力な候補地は大坂、長崎ではないかと予想されてい
るが、ターゲットは海外富裕層なので日本人に対しては、7~8000円の入場料と入場制
限回数(週3回、月10回)がある。
ところが、オンラインカジノについては現時点では何も方針が示されていない。「カジ
ノ」と「オンラインカジノ」は全くの別物で、IR域内とオンラインでは影響の度合いが
大きく異なる。日本ではオンラインカジノへのハードルは相当高いと考えられ、実現す
るとしてもだいぶん先のことになると予想されるが、それまでの間、外国のオンライン
カジノを何らかの形で制限することができなければ”甘い汁“を吸われ続けることになる。
今回の事件は、オンラインカジノがすでに想像以上に広がっている可能性を示してお
り、実態の把握と対策の必要性を示唆するものだ。
2022.05.26