樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

贅沢の罠(Y-39)

「ぜいたくは敵だ」という戦時中のスローガンは、当時を描いた映画の場面などにも使

われて有名ですが、これに一字を加えて、「ぜいたくは素敵だ」とした落書きがあった

というエピソードがあります。割と有名なので耳にしたことが在るかと思います。

この標語の作者は、昭和15年、病気のために陸軍を除隊となって大政翼賛会の外郭団体

に身を置いていた花森安治だと言われています。しかし、実のところは霧の中で、とく

に落書きについては戦後の作り話だという説もあります。

 

花森安治は、年配者ならその女性と見まがうような独特の扮装を思い出すかもしれませ

ん。戦後は「暮らしの手帳」の初代編集長として、あるいはコピーライターやグラフィ

ックデザイナーとして活躍し、記憶に新しいところでは、朝ドラの「とと姉ちゃん」の

モデルになったことでも知られています。

また昭和18年には、大政翼賛会と3大新聞が共同でスローガンを大々的に募集して、

「欲しがりません勝つまでは」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」などの標語が選出され

ましたが、このとき花森は有力な選者の一人だったようです。

その他の標語の中には、「一杯2杯3杯失敗」(日本国民禁酒同盟)といった笑いを誘

うものもあり、それらを当時メディアなどが盛んに使用していた「鬼畜米英」「米鬼」

などと比べてみると、案外国民は冷静であったのではないかという気もします。

そのあたりを静岡県立大の前坂俊之教授は次のように分析しています。

“戦時スローガンによって人々は本当にマインドコントロールされていたのかを考えて

みると実際はそうではなかったのではないか・・・庶民は標語の虚実をしっかり見据え

てその虚偽性を見破って落書きや流言蜚語パロディー化したコピーを作って反発・抵抗

して口コミで人々の間にひそかに流行していた・・・”と。

いずれにせよ、「政治とメディアが結託するとろくなことはない」という教訓が得られ

そうですが、ここでもう一度あらためてこのスローガンを眺めてみると、なんだかいつ

の時代にも通じるような深い意味がありそうにも思えてくるのです。それもパロディー

と並べることによってその意味がクローズアップされてくるように思います。

その意味とは、“贅沢は素敵であるがゆえに敵にもなる”ということです。

それが今回言いたくて表題にもした「贅沢の罠」です。

 

その昔、といってもわずか60~70年前のことですが、家事労働は今とは比べ物にならな

いほどの大仕事でした。

それがあっという間に、洗濯機、掃除機、電子レンジ、自動調理器などが登場し、機械

に家事をさせながらエアコンの利いた部屋で冷蔵庫から飲み物を出し、海外のスポーツ

中継を観るなどと言うことが可能な時代になりました。そして、いつでもどこでもスマ

ートフォンから世界の情報を手に入れ通信を行い、買い物もできるようになりました。

それらの全てが、当初は間違いなく“ぜいたくな”ものでしたが、やがて”必需品“とな

り、それがなければ”不幸“を感じるまでになってしまったのです。さらにあれもこれ

も“おまかせ設定”が付加されて最適な使用法まで機械任せとなってしまいました。

中学生の頃、私はアメリカのホームドラマを見て“蛇口からお湯が出る生活”がこの日本

にもやってくるだろうかと思いました。それがほぼ実現したわけですが、今のところ私

はそのぜいたくに抵抗して冷たい水で顔を洗っています。とは言いながらもその一方

で、温水シャワートイレでないと用が足せないという情けない状態になっています。

人は「贅沢の罠」から逃れられないのです。

この流れは、間違いなく社会全般のロボット化へと突き進んでいくでしょう。

工業・農業の生産分野はもとより、サービスや医療などありとあらゆる分野でロボット

化は進み、多くの一般人がすることといえば、資源の消費とごみの生産、そしてゲーム

だけということになるかもしれません。

その方向はもしかすると、さほど遠くない将来に「恐竜の時代」のように「人類の時

代」として地球史に刻まれるような結末を迎えるかもしれないと思ったりもします。

20世紀の人類は、おそらくそれまでの何千年かに匹敵する”ぜいたく”を産出し、これま

でになく多くの人々が「贅沢の罠」にはまってしまいました。

果たして今世紀の人類は、いくらかでもその罠から抜け出せるのでしょうか。

                           2022.01.20