樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

逆玉に世間は辛い(J-59)

薄幸の少女が王子に見初められるといった物語は、古今東西、実話・創作織り交ぜて

あまた存在する。

いわゆるシンデレラストーリーで、日本流に言えば玉の輿というやつだ。

そして、その結末は概ねハッピーエンドで締めくくられる。

余談になるが、シンデレラとは“灰かぶりのエラ”の意味で、継母にこき使われて灰まみ

れになっているエラという悪意あるニックネームである。そこから派生して、逆に姫君

に見初められた男のことをシンデレラボーイという。

一方玉の輿は、元々は“貴人の用いる輿の美称”であって、男女の区別はないはずだが、

男女逆のケースは誰が言い出したか”逆玉”という。

玉の輿の語源としては有名な俗説がある。

時は江戸時代、3代将軍家光が京都の八百屋の娘玉に一目ぼれし、玉が輿に乗って江戸

入りしたことから”玉の輿“という言葉が生まれたとするものだ。しかし、将軍が八百屋

の娘を見初めるなどということはあり得ない。実のところはこんな話だ。

家光は若いころにはあまり女性に関心がなく、正妻に迎えた鷹司家の姫との折り合いも

悪いということでなかなか後継ぎが生まれない。これを心配した春日局が側室候補を物

色し、まず家光が関心を示した伊勢慶光院の院主を還俗させて大奥に入れた。これがお

万の方で、家光には愛されたが子は授からなかった。この時お万の方の部屋子(召使)

として共に江戸入りしたのが「お玉」である。彼女の父は北小路太郎兵衛宗正という公

家に仕える青侍とされているが、実の父はもっと低い身分で八百屋であったらしい。

そのお玉に目を付けた局が家光に引き合わせ、やがてお玉は5代将軍綱吉を産むことに

なる。おかげでお玉の一族も大出世を遂げるのである。

さらに余談を続けると、玉は家光の死後は桂昌院を名乗るが、髪は下ろさず、春日局

代わって大奥を支配するようになる。孝行息子の綱吉は母に従一位の官位を授かろうと

奔走し、朝廷の勅使に対しても最高のもてなしをする。このときの“御馳走人”役に指名

されたのが浅野内匠頭長矩で、松の廊下で刃傷沙汰を起こした内匠頭が即日切腹を命じ

られた背景には、大事な儀式を台無しにされた綱吉の激怒があるとも言われている。

なお桂昌院は翌年(1702)めでたく従1位の官位を授かっている。極めて異例のこと

で、これぞ極上の玉の輿といえよう。

以上、典型的な物語と実話を例に挙げてみたが、このパターンはメデタシ・メデタシと

いう話が多い。それに比べると男女が逆のパターン(逆玉)はどうもパッとしない。

悲劇的結末や悲恋物語に終わることも多い。

逆玉に対しては、何かハッピーエンドにしたくないような空気があるような気もする

し、とくに女性側の共感を呼びにくい感じがある。

 

気の毒なことに、秋篠宮眞子内親王と小室圭さんの恋はこのケースで、婚約発表の時点

からどこか暗雲が漂っていた。そこに母親の金銭トラブルを週刊誌がスクープしたもの

だからもういけない。それからは見るも無残なバッシングの嵐である。半年もたたない

うちに結婚は延期されることとなってしまった。 

それからずるずると約3年が経過し、一時は婚約破棄の噂も立ったが、若い二人の意思

は固く粘りに粘った。そして昨年11月、遂に秋篠宮が二人の結婚を認めるに至ったが、

あわせて小室さん側に「見える形」での対応を促した。これに応え、この4月8日小室さ

んが経緯を説明する文書を発表した。

文書はA4判24ページにわたる詳細なもので、新聞などによるとその冒頭には

“私と眞子さまの気持ち、そして結婚に対する思いに変わりはありません。この文書は

誤った情報をできる範囲で訂正することを目的としています。“と述べているという。

実は、この言い方がまた世の口うるさいオバサンたちの顰蹙を買う。

曰く、“何故最初にご心配をかけて申し訳ないと言わないの”

   “誤りを訂正するじゃなくて誤解を解きたいというべきよ”

   “さらに週刊誌などと論争を続け泥沼化させる気かしら”

   “「私と眞子さまの気持ち」というのは失礼じゃない?”

といった具合だ。要するに何が正しいかどちらが正しいかではないのである。

確かに、気合が入り過ぎているというか週刊誌などのメディアに挑戦状を叩きつけたよ

うな表現になっている。分からなくもないが国民の祝福を得ようとするなら、オバサン

たちの”そうじゃないのよねえ”という指摘にも耳を傾ける必要がありそうだ。

しかしまあそこは若気の至りとして許してやってはどうだろうか。

メディアも意地悪と言えば意地悪だ。原文では“私と眞子さまの気持ち”の前に、“眞子さ

まが書いてくださったように”という言葉がある。それは、20年11月に眞子さまが公表

した文書の“結婚は私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために

必要な選択」という言葉を指している。この言葉は眞子さまの強い意志を示すもので極

めて重い。秋篠宮家はもとより天皇家の気持ちをも動かした可能性がある。

そこをメディアが意図的に省略したとすれば悪質だ。

イギリスほどではないにせよ、王家(皇室)スキャンダルはメディアにとっては飯の

タネなのだ。彼らはあっさり片付いてほしくないのである。われわれ一般大衆もそのあ

たりは十分留意して情報に接する必要がある。

とくにオバサンたちには、週刊誌の広告だけで「悲劇の逆玉物語」をつくりあげるのは

止めにしようではないかと言いたいのだが、怖いのでここだけの話にしておく。

                            2021.4.11