樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

スッキリしない結末 (J-22)

何ともまあ品のない事件が起きてしまった。

「よりによって・・」

「こともあろうに・・」

「○○ともあろうものが」といった、

普段あまり使わない言葉を総動員しても、

まだ足りないほどの呆れたスキャンダルである。

週刊文春が報じた、東京高検黒川検事長の「賭けマージャン」は、

あまりにもツッコミどころが多すぎるスクープである。

WH すべてが引っかかるなんてそうざらにはない。

 

When: コロナ対策で自粛中に(みんな我慢しているのに)

Where: 新聞記者の自宅マンションで(公私混同?)

What: マージャンを(3密の代表なのに)

Who: 検事長と新聞記者が(そんな関係?)

Why: 渦中の人物が深夜の2時まで(自覚がない)

How: 金銭をかけて(検事が賭博?)

これでコロナに感染していたなら、もうそれ以上はない。

 

黒川氏は事実を認め21日辞表を提出、処分は訓告で退職金などは

通常通り支払われるらしい。

それは甘すぎるとの声も少なくない。

 

怒りの声は、政権はもちろん公務員全体にまで影響を及ぼしそうな

勢いなのだが、そうなると私のアマノジャクが頭をもたげてくる。

一体世間は、何処が一番問題だと考えているのだろうか。

罪に問われる可能性があるのは、”賭けマージャン“の部分だけで、

後は眉を顰めることではあっても、有罪にはなりえない。

そもそもマージャン愛好者の中で、何も賭けずにプレーしている

人など私は見たことがない。

いつものメンバーで長く続けられるのは、

勝ったり負けたりするからで、還元率でいうなら、

宝くじを含め、公認ギャンブルの方が遥かにたちが悪い。

この程度の”賭け“を有罪にしていたら、刑務所崩壊が起きる。

 

検察庁法の改正案は、世論の反対が多く出直しとなったが、

実は、私にはその是非がよくわかっていない。

反対する人たちの理由として、

“政府が検察の人事に介入できる枠組みとなり、三権分立の原則が崩れる”

“検察が政府の顔色を窺うようになる”

といった論調が多かったのだが、それはおかしい。

検察庁法務省に属しており、行政機関であってそもそも司法ではない。

定年延長しようがしまいが、人事には当然介入できる仕組みなのだ。

逆に、検事総長事務次官より上位にあるという特別な組織であるがゆえに

アンタッチャブルになって暴走の危険があるともいわれているのである。

韓国ほどではないにしても、検察の権力は強すぎるという懸念は以前からある。

そもそも、検事長まで上り詰めれば検事総長は運しだい(タイミング)なので、

後は喜んで定年を迎える心境だろう。

検事長ともなれば、大会社の顧問弁護士など引く手あまたで、椅子にしがみつく

必要などありはしない。

 

それよりも、スッキリしないのは、新聞記者の方である。

情報は、当の3人かあるいはそのうちの誰かから聞いた別の記者から

文春に流れたと考えられるが、いずれにせよ、

それまでは持ちつ持たれつの関係だったはずなので、文春に売ったのは

いわば”仁義にもとる”仕業である。美しくない行為だ。

また、”賭ける”のがダメなら記者たちも同罪だ。

 

記者はスクープに命を懸ける。

要人のスキャンダルを暴き辞任に追い込めば、

“あれが○○の首を取った男だ”と持ち上げられる。

だからといって、

裏切りのような記事を自社の出版物に載せることは差しさわりがある。

そこで文春に売る。

最近、そうとしか思えない事例がよくあるような気もする。

文春が一種の”駆け込み寺“的存在になっているようにも見えるのだ。

その点もまた、どうもスッキリしないのである。

                    2020.0523