「贅沢だ!」と叱られそうだが、
一年中スポーツ中継ばかり追っかけていた身には、
辛い毎日が続いている。
とくに今年は、
欲求不満が募る。
仕方なく、無観客の練習試合などを見ているのだが、
これが思いのほか楽しい。
それはまあ、“喉が渇いた時の一杯の水”
みたいなものかと思っていたのだが、
実はそうではなかった。
気づかされたのは、今朝の毎日新聞の川柳欄である。
“白鵬の張り手が響く無観客”
(無断借用ごめんなさい)
見た瞬間に思わず頷いてしまった。
つまり、案外楽しいその訳は、「音」なのである。
私はずいぶん長い間、球場に足を運んでいない。
その理由のひとつに、“ゲーム中の音が聞こえない”ということがある。
それどころか、時に応援することを強いられるような雰囲気さえある。
そうなると、みんなに合わせようとして観戦どころではなくなってしまう。
もうひとつは、客席からの距離が遠すぎて、
細かいところがわからないということだ。
投手の調子や球の切れ具合といった、
素人には素人並みの楽しみがあるのだが、
球場観戦ではまず無理だ。
鳴り物入りの派手な応援は、元々は「都市対抗」が実質「実業団対抗」
であったことから始まっている。
おそらく、その会社なり団体なりが「宣伝」と「団結力の強化」
などを狙ってはじめたものだろうと思う。
私は基本的に、プロ・スポーツとアマチュア・スポーツとでは、
楽しみ方が違うと思っている。
プロ・スポーツ観戦では、選手の卓越した技術を見て感動したい。
観客の応援が選手を鼓舞し、
それがスーパープレーの呼び水になることは理解できる。
しかし、それは声援だけで十分ではないだろうか。
周りを見渡してみると、
野球とサッカー、それもほぼ日本だけがやたらと騒がしい。
それが選手間のコミュニケーションを妨害し、
エラーやケガを誘発しているケースもある。
NPB,JFAは、もう少し応援の仕方について改善すべきではないか、
無観客試合を見ながら、ふとそんなことを考えた。
2020.3.29