樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

樗木(ちょぼく)の遺言

はじめに

 

散歩道の川沿いにセンダンの木がポツンと一本棲みついている
とても成長が早い。
この木をみるたび 私の脳裏に故郷の小学校の風景がまざまざと蘇る
その中心にあるのは 他に何もない校庭にそびえたつ栴檀の大木だ
緑の葉が生い茂り、黒々とした日陰を映している夏の校庭である

その周りを
時には裸足で駆け回っていた私たちは
“センダンハフタバヨリカンバシ”という言葉を何度も聞かされて育った
もしかすると
似たような記憶を共有する世代は案外多いのかもしれない
それは福岡県大野城市のウエブサイトでも見ることができる

ずいぶん後に知ったのだが
”芳しい“のは「白檀」のことで
インドに在って日本にはない品種だそうだ
日本に自生する「栴檀」は
古くは「樗(おうち)」と呼ばれていて
枕草子などいくつかの古典に登場する

木のさまにくけれど 樗の花いとをかし かれがれにさまことに咲きて
かならず五月五日にあふもをかし (枕草子35段)

枯れ枯れに(しなびたように)独特な咲き方をして
必ず端午の節句に合わせて咲くのもいい
といった意味のようだが
私には “枯れ枯れ” はちっとも “をかしく” ないので
ここは “離れ離れにもしくは彼彼に 様異に咲きて” と解釈したい
いずれにせよ
この一節が小学校の庭に植えられた大きな理由の一つであろう
他にも
万葉集平家物語などの古典に この木は登場している

しかし これまで 栴檀(樗)の木は 
“使い道のない木” ”役に立たない木“ の代名詞でもあった
ところが最近になって いささか様子が変わってきたようだ
この木の成長が早いという性質に目が向けられ
これを利用しようとする動きが出てきたのである
たとえが悪いかもしれないが
コンニャクや食物繊維がダイエット食として人気者になったようなものだ

私は今 いわゆる後期高齢者となって
夫婦ともに二親を失くしてしまったのだが
その誰もが 何も言葉を残さずに逝ってしまったことが 
なんだか寂しい
だから未練がましいかもしれないが
遺産の代わりに 言葉を残そうと思う

想いとは裏腹に
子や孫には全く無視されるかもしれない
しかし それはあまり気にしないことにしよう
少なくとも”ボケ防止“にはなるだろう
もし誰かが一部でも拾い上げてくれれば 上等だ

そんな頼りない希望を抱いて
これから私の遺言を述べて行こうと思う
さてどうなることか・・・
ゴールポストは見えていない・・・