樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

教訓には賞味期限がある(Y-42)

 

9月5日、静岡県認定こども園で3歳の女児が、約4時間も送迎バスの中に置き去りにさ

れ、熱射病で死亡するという事故が発生した。女児は衣服を脱ぎ水筒は空になっていと

聞けば、その痛ましさは限りなく怒りさえこみあげてくる。

家内の第一声は「去年もあったばかりなのにどういうこと」であったが、毎日新聞の社

説も「教訓何故生かせなかった」となっている。その教訓とは、昨年7月31日に起きた

福岡県の保育園で5歳の男児が死亡した同種の事故を指している。しかし、実はその前

にも2007年に北九州市の無認可保育園で同じような事故が起きているのである。

永岡文科相は6日の会見で、“このような事案が再度起きてしまったことは極めて遺憾、

一体あの通知は何だったのかという風にも思う。再発防止に向け内閣、厚生労働省と連

携して様々な機会に注意喚起を行い、送迎バスにおける子供の安全確保に努めてまいり

たい”と今後の方針(?)を述べた。

大臣が言う”あの通知“とは福岡県の事故後に出されたもので、次のような内容だ。

・送迎バスを運行する場合は、運転を担当する職員の他に子供の対応ができる職員が同

 乗するのが望ましい。

・子供の乗車時及び降車時に座席や人数の確認を実施し、その内容を職員の間で共有す      

 ること。

大臣はこの通知をほぼ守っていたこども園で今回の事故が発生したことに対し、再度通

知を出して様々な機会に注意喚起をすることで改善を図ろうということらしい。

だとすれば、“無能”としか言いようがなく、失望するほかない。

 

「マッハの恐怖」など、ヒューマンエラーに関する著作で知られる柳田邦男は、「航空

事故」(中公新書)のなかで、“機械やシステムの欠陥や弱点を人間の注意やマニュア

ルによって補おうとすると必ず破綻するという「公理」がある”と述べ、英国の著名な

学者一家の一員であるオルダス・ハックスレイは、“歴史から得られる最大の教訓は、

人類が歴史から得られる教訓を少しも役立てなかったことである”と皮肉たっぷりに語

っている。二人の言葉は、いささかオーバーな表現にも見えるが、ヒューマンエラーの

克服がいかに難問であるかを強調したものだ。

われわれ人間は、自分の経験でさえその教訓を生かしきれないのが常だ。ましてや、

他人の経験から得られる教訓など、1年やそこらですっかり忘れてしまうことを今回の

事故は物語っている。

“教訓”には賞味期限があるのである。

だから永岡大臣はその賞味期限が切れないうちに、プロジェクトチームを作るなりし

て、実効性のある対策を講じると言わねばならない。賞味期限は思いのほか短い、急が

ねばならないのである。そして、その主体は、厚労省ではなくて国交省であるはずだ。

なぜなら、問題は保育園の送迎バスに限った問題ではないからだ。

 

アメリカでは、子供を放置して車を離れただけで”虐待”と見なされる。

にもかかわらず、ワシントンポストのレポートによると、1998年以降の15年間で、682

人の子供が高温の車内でなくなり、その54%が置き忘れであるという。この現象を脳

科学者のデビット・ダイアモンド博士が、「赤ちゃん忘れ症候群」(Forgotten baby

Syndrome )と名付けた。同種の事故は世界中で起きているのである。だが、それらの

すべてを保護者の無責任や愛情の欠如に結び付けることは大きな間違いだ。日本でも、

出勤途中で子供を保育所に預ける予定の父親がそれを忘れ、勤務先の駐車場で1歳の女

児が死亡するといった事故が起きている。その父親廃止は医師である。

ヒューマンエラーを犯す人物には欠陥があると考えるのは間違いだ。人はミスを犯すも

のであり、ヒューマンエラーは”人間の証明“でもあるとかんがえるべきなのだ。

 

日常生活の中で、最も身近にヒューマンエラーに接するものと言えば交通事故である。

時代的に見れば、車の普及とともに交通事故も増加の一途をたどり、ひところは「交通

戦争」という言葉がしばしば使われた時代もあった。交通ルールや規制の強化に顕著な

効果は見られず、それは長らく社会問題の一つであった。それが車自体と環境の両面に

わたるハード面の安全対策が進んだことで、近年著しく改善されている。近い将来、追

突事故やアクセル/ブレーキの踏み間違いと言った事故はほぼなくなる可能性がある。

赤ちゃん忘れ症候群への対処も技術的にはそれほどの難問とは思われない。要は覚悟の

問題だ。現に北米日産は、子どもを置き忘れないための安全装備を4ドアモデルの全車

に標準装備すると発表した。EUでは幼児の送迎車両に置き忘れ防止のために最後尾に設

置されたスイッチを押さないとキーが抜けないといった対策も取られている。

日本でも、浜松市のフルティフル合同会社が子供の置き忘れ防止に役立つ無料のアプリ

を提供しており、8月末からバスモードの試験運用を始めているそうだ。

永岡大臣はこれらの事情をご存じないのであろう。というより、社会全体が、

”犯人捜し“と”責任者に対する追及“に熱中するメディアに毒されている。

やがてはその”方角違い“に気づき、より効果的な対策がとられるに違いないとは思う。

しかしながら、実はそれでもヒューマンエラーの問題は完全解決に至らないということ

も理解しておかねばならない。新たな安全対策が、それまでになかった思いがけない

ヒューマンエラーを生むこともあるからである。

そもそも安全というものは存在しない。安全には実体がないのである。

存在するのは危険であり、極言すれば、許容内にある「危険」のことを我々は「安全」

と呼んでいる。

だから「安全」を手に入れるためには、「危険」を見極め危険と闘い続けなければなら

ない。そして「安全」が長く続けば続くほど、危険に対する感度は鈍くなって行く。

皮肉なことに「安全の継続」が「安全の敵」にもなることもある。

あらゆる教訓には「賞味期限」があることを忘れてはならない。

                       2022.09.12

 

から得られる教訓には賞味期限があることを忘れてはならない。

 

 

 

MVP 気になる行方(J-120)

8月の終わり、大谷が所属するエンゼルスは、ホームに東部地区首位を独走する人気の

ヤンキースを迎え、今シーズン最後の3連戦に臨んだ。

しかし、チームは既にポストシーズンへの望みを完全に絶たれており、果たして観客が

足を運んでくれるかどうかということになると、はなはだ心細い状況にあった。

ところがふたを開けてみれば、連日満員の大盛況となったのである。

その理由は他でもない、MVPの有力候補アーロン・ジャッジと大谷翔平の直接対決に注

目が集まったからだ。そして、残念ながら、投手大谷対ジャッジの対決は実現しなかっ

たが、ゲームは観客が期待した通りの展開となった。

第1戦は、両者がホームランを放ち大いに沸いたが、大谷の2ランがジャッジのソロに

勝る形で、エンゼルスが4-3で勝利した。そして第2戦は、ジャッジの3ランが効い

て7-4でヤンキースが雪辱した。

ここまではともに4安打であったが、内容的にはジャッジの2ホーマー4打点が明らかに

勝っていた。

ところが第3戦、大谷は見事にその立場をひっくり返した。2点リードされた6回裏、

ランナー2人を置いての第30号逆転3ランである。しかも相手は、奪三振王の剛腕コール

投手だ。

この一発は、あまりにも強烈だった。

それは、ジャッジがややリードとみられるMVPレースにも少なからぬ影響を与えたに相

違なく、もしかするとヤ・軍はその後遺症が出るかもしれないと思わせるほどの衝撃弾

であった。

この3連戦で相対的に評価を挙げたのは大谷の方で、ますます混とんとしてきたMVPの

行方であるが、どうやらその状態は最後まで続きそうである。

先ずジャッジの成績を見てみよう。

今シーズンのボールは“飛ばない”といわれる中で、彼は既に54本のホームランを量産

し、2位以下に20本以上の差をつける圧倒的なパフォーマンスを発揮している。

ナ・リーグのトップに対しても17本の開きがあり、ア・リーグの最多記録61本も射程

圏内にある。3冠王は難しいが、打者部門のほとんどの項目で1位の座にあり、普通なら

文句なしのMVPであろう。また、もともとMVPは、成績よりも勝利貢献度が重視さ

れることから、優勝チームから選出されるべきだという意見も根強い。ヤンキースが優

勝すれば、それはジャッジにとって大きなアドヴァンテージとなるだろう。さらには、

MVPは打者部門から選出されてきた経緯があり、大谷の投手成績が軽視される可能性

がある。

昨シーズン、大谷は満票でMVPに選出されたが、それは最後までホームラン王を争いな

がら申告敬遠に泣かされたことへの同情や、大谷の二刀流がMLBのルールを変更させ

た(投手を降板しても打者として継続できる)ことへの敬意があったからであろう。

しかしその一方で、大谷自身がインタヴューに答えた“誰もやらなかっただけで、普通

の数字かも知れないし・・”というコメントに同調するグループも一定数存在する。

大谷は投手としても打者としてもチーム内トップの成績を上げており、勝利貢献度は極

めて高い。しかしチームが弱すぎてそれがアドヴァンテージにならないのである。

では、ジャッジを上回る票を獲得するためには何が必要であろうか。

そのために絶対に必要な条件は、規定投球回数規定打席数をクリアすることだ。

打席数についてはすでに達成しており、現在打率は .269で25位、打点は85で4位、

本塁打は32本で2位となっている。私が重視するOPS長打率+出塁率)は .898で

3位である。いずれもジャッジに劣るが立派な成績である。

問題は投球回数の方だ。こちらは規定ぎりぎりの状態が続いており成績表には名前が載

ったり消えたりを繰り返している。しかし、前回のアストロズ戦で8回1失点と好投し、

何とかなりそうなところに漕ぎつけた。実は規定投球回数の達成は、現代野球では厳し

すぎる条件(試合数と同じで162回)で、これを達成する投手は20人程度しかいない。

しかし、昨年達成できなかった大谷がこれをクリアすれば、投手大谷の”非凡さ“がはっ

きりと浮かび上がってくる。防御率2.58は現在5位、奪三振率は堂々の1位でK/BB(三

振/四球)5.48は5位。その上にいるのはサイヤング賞候補の超一流投手だけである。

二人の成績を比較した時、もしMVPが日本語として一般的に使われる「最優秀選手賞」

の意味であるならば、軍配はおそらく大谷に上がる。しかし、MVPにふさわしい日本語

訳は、やはり「最高殊勲選手賞」なのだ。大谷にとっては、そこが悩ましいところだ。

この後大谷は、アストロズマリナーズ、ツインズ、レンジャーズの4戦かそれにアス

レチックスを加えた5戦に登板して規定回数をクリアするはずである。とくに苦手とし

ている相手もなく、防御率や勝利数などの指標もさらに伸びていくに違いない。

いずれにせよ今シーズンのMVPは予想しがたく、最後まで分からない状況が続くに違い

ない。そればかりか、決定した後も議論が収束しないかもしれない。

というのも、そもそも二刀流をどう評価すべきかその評価尺度がないのである。

「すごい」という日本語を広め、MLBのルールを変えた男・大谷翔平は、近い将来

大谷翔平賞”を新設させることになるのかもしれない。

                       2022.09.06

 

 

あずきバーが呼び覚ました記憶(Y-41)

 

あずきバー」という名の氷菓がある。

1973年に井村屋が売り出して以来人気は衰えず、国民的商品とも言われるほどの存在感

を保ち続けている。固いのが特徴なので、「やわらか~い!」という誉め言葉しか知ら

ないような今どきの若者には不人気かもしれないが、年配者には受けがいい。

つい最近のこと、少々歯を気にしながらこの氷菓を一口噛んだとき、その独特のあずき

の風味が突然古い記憶を呼び覚ました。

それは小学生の頃の学校給食の場面で、おそらく昭和27年ごろの出来事だ。

たしか水曜日のメニューの中に「ミルクぜんざい」というのがあって、中には苦手な子

もいたが、私は“おかわり希望”の列に並ぶほど好きだった。その場面がありありと蘇っ

たのである。

当時一般家庭に冷蔵庫はなく、冷たい牛乳を飲む習慣はなかった。この「ミルクぜんざ

い」のミルクも元はスキムミルク、つまり脱脂粉乳で水に溶いて温めたものだ。それに

あずきと砂糖を加えたものが「ミルクぜんざい」というわけだ。

味は“生ぬるく甘く”、今時の子供なら「うえっ」と顔をしかめそうな代物だった。

さて、その脱脂粉乳の出所はといえば国内産であろうはずがない、やはりアメリカから

やってきたものであった。

それから70年の時は流れて2015年4月、当時の安倍総理が米議会で「“filibuster”(長い演

説による議事妨害)をするつもりはないが・・・」と断りながら長い演説をした。

その中で、戦後の食糧支援などに関して”ミルク、暖かいセーターそして何と2,036頭の

ヤギまで送られてきた“と感謝の言葉を述べる部分があった。

それらの支援物資は「ラ・ラ物資」と呼ばれていたが、「ラ・ラ」とは「Licensed

Agencies for Relief in Asia (アジア救済公認団体)」のことで、皇后陛下が昭和24年に

お詠みになった一首にも次のごとくその名が残されている。

  “ラ・ラのしな つまれたるみてとつくにの あつきこころに涙こぼしつ”

まさに涙が出るほど有難かった支援に対し、感謝の意を伝える親善大使を送ることにな

り、その代表を選抜するために開かれたのが「ミス日本コンテスト」の始まりである。

第1号に選ばれたのが、のちの大女優山本富士子であった。昭和25年のことである。

しかしこのストーリーは、実は”表の美談”であって、その裏には知られざる感動の物語

が埋もれたままとなっているのである。

そのことを書き残したのは、ノンフィクション作家の上坂冬子氏だ。

彼女は元はトヨタの社員であったが、倹約してアパートを建て、やがてそれを4階建て

のビルに発展させてテナントを入れ、自らは最上階に住んで執筆活動をつづけた。

食うためでなく自由に書くためにそうしたのである。

だから、細川護熙首相の“日本が侵略戦争を行った”という発言に対しては、“何と粗雑に

して迂闊な発言であろうか”と痛烈に批判し、また2004年には本籍地を国後島に移すと

いう実に痛快な言論と行動を展開した。惜しくも2009年に78歳で亡くなるのだが、その

彼女が2008年文芸春秋の季刊夏号「日本人へ」(私が伝え残したいこと)に「ラ・ラ物

資の生みの親、浅野七之助さんのこと」という一文を寄稿している。

亡くなる半年前の文芸春秋の企画に際し、おそらく山ほどあるネタの中から彼女が選ん

だ題材なので、それなりの強い思いが込められているとみるべきだろう。

上坂氏が初めて浅野氏に会ったのは、昭和天皇在位60年記念式典に浅野氏が招かれ来日

した時であったという。しかしこの時すでに91歳になっていた浅野氏は、疲労困憊の様

子でとても取材できる状態ではなく、上坂氏は別途渡米して話を聞いたらしい。

そこまでしたのなら、彼女の著作のどこかにこの話が載っていそうだが、私の調べでは

確認できていない。

浅野氏の経歴などは盛岡市のホームページやウィキペディアなどでも見ることができる

が、詳しい記述はないので、結局は上坂氏の短い寄稿文に頼ってまとめてみると次のよ

うなことになる。

浅野氏は明治27年盛岡市に生まれ、同郷の政友会総裁原敬の書生となる。23歳の時、東

京毎夕新聞特派員として渡米し1924年からは朝日新聞通信員として勤務するが、戦時中

日系人キャンプに強制収容される。戦争が終結しサンフランシスコに戻ると、当時の

法律によりアメリカ国籍を取得できなかった日本人の中には住居を乗っ取られた人たち

もいるという更なる”理不尽“が待っていた。そこで浅野氏は日本人の帰化権獲得の運動

を起こすべく、手掛かりとして昭和21年に日本語新聞「日米時事」を発刊する。同時に

故国の窮状を知り、「日本難民救済会」を設立して紙上で日本へ救援物資を送ることを

呼びかる。これが先に述べたLARAに発展するのである。当時アメリカの慈善活動は

「American Counsel of Voluntary Agency for Work Abroad」(海外事業篤志アメリ

カ協議会)が担っていたが、その対象地域はヨーロッパのみであった。未だ反日感情

残る中、日本向けの救済活動には抵抗もあったようだが、浅野氏の元へはアメリカのみ

ならず、ブラジル、メキシコ、アルゼンチンなどに住む“さほど豊かでない”日本人から

の救援物資が次々に贈られてきた。

昭和21年末、ラ・ラの第1船は、アメリカの軍用缶詰10万ドル分と日本難民救済会から

の3万ドル分の救援物資を積んで横浜港に入港した。

つまり救援物資には、とつくに(異国)の篤き心と、とつくに住む日本人の熱き心の両

者が詰まっていたのである。しかし後者については何故か肝心の日本人に正しく伝わっ

ていない。浅野氏は、”発起人である自分にはそのことを伝える義務がある”と最後まで

そのことを気にしながら平成5年98歳で亡くなったという。

浅野氏は1987年にサンフランシスコ市から表彰され、事実は確かめてないがその日5月

16日は「浅野七之助デー」としてメモリーされているという話もある。

この物語は健全なるPatriotism の問題であり、教科書にあってもよさそうなエピソード

である。Patriotism は、「愛国心」と同義であるが、日本では”愛国心=Nationalism”の

イメージが強い。そしてNationalismは国粋主義に結び付く。

朝日新聞が、この誇るべき元社員のエピソードに敢えて無関心な態度をとっているのは

おそらくそのためだ。

上坂氏は寄稿文の最後を“浅野七郎氏の創刊した「日米時事」は、いまも氏が人生の大

半を過ごしたサンフランシスコで刊行を続けている”という言葉で結んでいる。

しかし残念なことに、「日米時事」は、氏が亡くなった数か月後の2009年9月に廃刊と

なっている。

この物語のように、光が当たらないまま放置されている戦中・戦後談はいくらでもあ

る。そしてそれらを知る度に”戦後はまだ終わっていない”ことを痛感する。

                        2022.09.05

 

                   

統一教会とメディア(J-119 )

長らく世の耳目を集めてきた問題と言えばコロナとウクライナであるが、この7月から

は「旧統一教会」がそれに加わっている。とくにTVの世界では、ニュースもワイドショ

ーもこの“3本建て”が定番となっている。いずれも出口が見えないものの、コロナは感染

者数から死者数へ、「統一教会」は被害よりも「政治家との関係」へと、時とともにそ

の焦点は移動している。それはある意味当然なのかもしれないが、「統一教会」に関し

ては当初から気になって仕方がない部分が私にはある。

それが何かと言えば、この宗教法人とメディアの双方に感じられる同質の”匂い“のよう

なものだ。そしてそれは、決してメディアが報じないところでもある。

その匂いとは何か、それはどこから来るのか、この際少し掘り下げてみたいと思う。

 

統一教会」とは、文鮮明という人物が1954年韓国に創設した「世界基督教統一神霊協

会」という宗教団体の略称である。日本へは1959年から布教を始め1964年に宗教法人と

して認可されている。

そこに至るまでの文鮮明の半生はまことに波乱万丈である。生まれたのは1920年、つま

り日本統治下における現在の北朝鮮だ。大東亜戦争の最中には日本の専門学校で学び

1943年に帰郷するが、「抗日独立運動」にかかわっていたという容疑で逮捕される。

その後、金百文が立てた「イスラエル修道会」に入り強い影響を受ける(この時代に

師の執筆中の原稿を盗んだという説もある)。1945年からこの「原理」に基づいた布教

活動を始めるが、キリスト教主流派などから迫害されソ連軍占領下の平壌に移る。とこ

ろがここでも南朝鮮のスパイであるとされ収容所送りとなる。するとそこに救いの主が

訪れる。1950年に勃発した朝鮮戦争だ。彼は国連軍に解放されて釜山で港湾労働者とし

て働き始める。そのかたわら1952年に「原理原本」を完成させ、翌年にはソウルに拠点

を移してついに「統一教会」を創立する。それが1954年、自らをイエス・キリストの再

臨と宣言する34歳の教祖の誕生である。

その後1960年には、生涯の伴侶にしてよき協力者となる当時17歳の韓鶴子と結婚を果た

す。彼自身は41歳にして3度目の結婚であるが(関係した女性は多すぎて詳細不明)、

鶴子との相性はよく14人の子供をもうけている。

1972年にはアメリカに総本部を移して布教活動を世界に展開してゆく。その活動を強力

に後押ししたのは、反共産主義思想の展開と資金調達の成功である。

1968年には「国際勝共連合」を設立して韓国の朴政権や日米の保守政治家との結び付き

を深め、1974年には「世界平和教授アカデミー」を設立する。そして、75年の「世界日

報」、82年の「ワシントンタイムズ」発刊へと言論界にも足を踏み入れてゆく。それら

の活動に必要な莫大な資金のほとんどは日本から調達したとみられているが、問題はそ

の方法である。

1980年代、教会は姓名判断や家系図鑑定と絡めた印鑑や壺などの商品販売を始める。

いわゆる「霊感商法」である。やがてその悪名が世に知れ渡りうまくいかなくなると、

次はターゲットに狙いを定め徹底的に搾り取る作戦に切り替える。その被害者の一人が

安倍元総理を殺害した若者の母親というわけだが、協会は信者たちに対し、“かつて日

本(人)は韓国(人)に対して消すことのできない悪事を働いているのでその償いをし

続けなければならない”という教義の“刷り込み”を行っているのだという。

さて、日本(人)だけに通じるそれらのアイデアは誰が考えたのであろうか。

私はそのアイデアは日本人のスタッフから生まれたものに違いないと思う。そして、

そのスタッフはおそらく、”日本(人)は贖罪すべきだ”と信じているのである。

 

統一教会が盛んにあくどい資金集めをやっていた1980年代、日本はバブル経済に浮かれ

ていた時代であったが、いわゆる歴史問題がクローズアップされた時代でもあった。

・1982年、「第1次教科書問題」が発生した。6月26日の朝刊で、新聞各社が“教科書検

定で「侵略」が「進出」に書き換えられた”と一斉に報じたのが発端だ。7月26日には中

国政府が抗議する事態に発展する騒ぎとなるのだが、よく調べるとその事実はなく、

記者クラブが手分けして調べた作業におけるカン違い、つまり誤報であった(ある記者

が意図的に行ったという説も有力である)。

・1985.8.6 朝日新聞が「靖国批判」を報じた。1978年にいわゆるA級戦犯が合祀され

ていたことを知り、疑問を提示したのである。これによって中国政府が初めて靖国を非

難し、騒ぎは大きくなって中曽根首相は翌年から公式参拝を止めた。数年おきに実施さ

れていた天皇陛下の親拝は1975.11.21以降実施されていない。

終戦直後、靖国は存続か解体かで揺れ動いていた。わずか1年余りで憲法を制定させた

GHQ靖国の解体に踏み切れなかったのは、カトリック神父などの進言の影響もあり賛

否が分かれていたからだ。しかし、存続の決め手となったのは、もたもたしているうち

GHQの軸足が「日本の非軍事化」から「共産主義に対抗する同盟国」へと変化した事

情があったものと思われる。アメリカにとっての真の敵が誰であるかを理解した瞬間と

も言えるだろう。

戦後靖国は国の管理下にはなく神社本庁にも属していない。だから何事も、違法性がな

ければ“靖国の勝手”であり、そうでなくても内政問題である。

しかし、このままでは国に殉じた英霊たちに申し訳が立たないことも事実だ。

やはり天皇陛下の親拝があってこその靖国であることを思えば、その環境が整備される

ことが国民の願いではないだろうか。

・1983年に吉田清治が「私の戦争犯罪」で“慰安婦狩り”を著わしてから、その真偽をめ

ぐる論争が激しくなっていた慰安婦問題であるが、1991.8.11に元慰安婦が名乗り出た

とて朝日新聞がスクープした。植村隆記者の署名入りである。

タイトルは“元朝鮮人従軍慰安婦戦後半世紀重い口を開く”でその記事の前文には“「女子

挺身隊」の名で戦場に連行され・・・”と書かれている。

さらに朝日は、1992.1.11の一面トップで「慰安所軍関与示す資料」が発見されたと報

じ、それが事情がよくわからないまま5日後に訪韓した宮沢首相が8回も謝罪するという

失態を演じるもととなった。

その資料は、普通に読めばわかるのだが、実は騙して募集するような悪質な業者の取り

締まりを強化せよという軍の指示であり、関与は関与でも真逆の事実を証明する試料で

あった。

吉田清治の証言は後に本人が作り話であることを自白し、植村記者の記事にも明らかな

誤謬が見られるにもかかわらず、朝日が一連の記事の誤りを認めたのは2014.8.5であ

り、このときに謝罪はしていない。謝罪はその後の非難を受けて、福島原発事故の際の

誤報(作業員が命令に違反して撤退した)に対する謝罪会見時に合わせて付け加えただ

けである。その態度は、”自分たちの報道姿勢は正しい”と言わんばかりである。

 

かくのごとく、いわゆる歴史問題は真実とはかけ離れたところで論争が続いている。

しかもここに上げた例が示すように、その多くは”日本発“といってもよい。

Comfort womenに変えて、初めてsex slave という言葉を使ったのも日本人の戸塚悦朗

弁護士だ。

 

門田隆将は「新聞という病」のなかで、問題のトリガーとなった一連の報道を「ご注進

ジャーナリズム」と呼び、”彼らに「自分たちが日本を貶めている」という意識は全く

ない”と驚いている。おそらくその通りなのであろう。

だからややこしいのである。

やっていることは反日でも、心は愛国なのかもしれないのだ。

 

統一教会をよく知る人たちは「信者の皆さんは“いい人”が多い」と口をそろえる。

彼らは韓・中に対する贖罪こそが第一に為すべきことであると信じ、あたかも免罪符を

得るが如くに教会のいかがわしい商品を買い献金を続けている・・・おそらく。

 

こうして掘り下げてみると、私が統一教会とメディアの双方から感じる同じ匂いの正体

は、どうやらこの韓・中に対する「贖罪」意識のようだ。そしてそのもとはと言えば遠

く遡った戦後の数年間GHQに支配されていた時代に受けた“刷り込み”にあると考えられ

る。それが東京裁判史観だと言われれば、否定はしない。この呪縛から脱却するのは容

易なことではないが、重要な鍵の一つが「憲法改正」であることは間違いない。

言うだけ番長“”検討士“のニックネームを付けられた岸田総理への期待感は萎むばかり

である。

                       2022.08.25

 

 

 

 

 

 

女子ゴルフ界に大型新星(J-118)

先週の「NEC軽井沢72」では昨年プロ入りしたばかりの岩井千怜(20)が初優勝し、

またまたニューヒロイン誕生に湧く女子ゴルフ界であるが、海の向こうから更なるビッ

グニュースが飛び込んできた。アマチュアゴルフの最高峰ともいうべき「全米女子アマ

選手権」で高2(17歳)の馬場咲希選手が見事優勝したのである。それも文句なしの圧

勝であった。

この大会は、男子と同じ1895年から毎年開催されて歴史が古く、そして最も過酷な大会

でもある。日本人としては、1985年に当時16歳の服部道子が優勝しているので、37年ぶ

りの快挙ということになる。

競技は最初の2日間でストロークプレーを行い、そこからは上位64名のマッチプレー

よるトーナメント戦となる。3日目に1回線、4日目には2回線と3回戦を戦い、5日目準々

決勝、6日目準決勝で、7日目の決勝戦は何と36ホールのマッチプレーである。つまり、

優勝するためにはトータル8ラウンドを戦わなければならない。「運」だけでは勝てな

い厳しい戦いだ。

馬場選手は、序盤2日間のストローク戦を73,74の34位でトーナメント戦に進み、1回戦

は最終ホールまで縺れたもののそれ以降は徐々に調子を上げ、危なげなく勝利して、準

決勝に進出した。

準決勝の相手は、ベイリー・シューメーカー(米、17歳)で最大の難敵かと思われた

が、馬場はショット・パット共に相手を圧倒し、7アンド6、つまり6ホールを残して勝

利した。

もう一組はカナダのモネ・チャンとアイルランドアナベル・ウィルソンという大学生

同士の戦いとなり、モネ・チャンが勝利した。

いよいよ最終日、17歳の高校生と21歳の大学生による日・加対決である。プロの世界で

も前日のプレーに出来すぎの感があると崩れるケースが良く見られるので、若い馬場選

手には一抹の不安がよぎったが、その心配は早々に消し飛んだ。彼女は前半の18ホール

で7アップと大きくリードし、2時間半の休憩後連続して2ホールを失ったものの、そこ

から怒涛の6ホール連取でなんと11アンド9、9ホールを残して圧勝してしまったので

ある。実力者が集う大会でこれほどの大差がつくのは極めて異例のことで、120年以上

の歴史の中でも3番目にあたる成績だという。

私自身は、準決勝と決勝の模様をスポーツチャンネルの録画再放送で視聴したわけだ

が、リンクスに似た風景、狭くて起伏に富むフェアウェイ、傾斜が大きいグリーン、見

るからに意地悪気な難コースでの戦いは見ごたえ十分であった。とくに、マッチプレー

の面白さが十分に伝わった。現在プロの戦いはストロークプレーが主流なのだが、それ

は、人気選手が早々と姿を消すことがあるマッチプレーではTVの視聴率が取れないから

ということらしい。しかし、ゴルフはマッチプレーの方が見るのもするのも断然面白

い。そして公平でもある。ゴルフは自然環境に大きく影響されるので、同組でなければ

常に不公平感が付きまとう。また、マッチプレーは相手を見ながら1ホールごとの戦い

になるので、戦い方が違ってくる。できればプロの大会でも、マッチプレーを増やして

ほしいし、願わくばメジャーの一つは全米アマと同じ方式でやって欲しい。

話を戻そう。

馬場選手は、この勝利で来年の全米オープン全英オープンの出場資格を得た。

また、24日からフランスで開催される「世界女児アマチーム選手権」には、橋本美月、

上田澪空選手とチームを組んで出場する。この大会では、3人のうち上位2人のスコアを

積み上げる4日間の戦いとなる。この大会も注目だ。

 

馬場選手は現在17歳、日本ウェルネス高等学校の2年生である。この高校は通信制

単位制を取っており、ゴルフ部の生徒たちは皆プロを目指している。東京5輪「銀」

の稲見萌寧もここの出身である。

馬場選手はすらりと伸びた175㎝の長身で、MLBの大谷選手のように体格にも恵まれて

いる。その体格を利した世界トップクラスの飛距離、高い弾道のアイアンショットに加

え、思い切りのいいパット、キャディーとのコミュニケーション、何よりも物おじしな

い性格と上昇志向等々メンタル面でも大物になる資質を兼ね備えているように見える。

来年はプロテストを受けるそうだが、この伸び盛りの大型新星に熱い視線が注がれてい

る。2,3年後が楽しみである。

                    2022.08.19

百花繚乱の女子ゴルフ(J-117)

 

今年の全英女子オープンゴルフは、南アのA.ブハイが韓国の田仁智(チョンインジ)と

プレーオフを制して優勝した。3年前に渋野日向子と最終組で回った彼女が、再び最

終組で相まみえるというありえない展開の末、33歳にして悲願のアメリカツアー初の優

勝を飾った。

全英と聞けばドラマティックな展開を期待しまうこの大会も46回目を迎えたわけだが、

今年はとくに日本のファンの関心は高かった。

その理由の一つは、今回開催されたミュアフィールドG.C.が世界最古のゴルフクラブ

あると同時に、創設以来273年間女人禁制を守り続け、今回が初の女子メジャー開催

だということである。もう一つは、日本選手が12人も参戦するということにあった。

その中には、アメリカに拠点を置きメジャー大会の勝利に最も近い日本人選手と言われ

続けている畑岡奈紗を始め、直前のスコットランドオープンを大会新で優勝した米ツア

ー1年目の古江彩佳、国内4日間大会でノーボギーという新記録で優勝した絶好調の勝み

なみ、現在国内賞金ランキング1位の山下美夢有、伸び盛りで安定感のある西郷真央な

どが含まれている。さらには、メジャー制覇後の成績がもう一つさえない人気の渋野日

向子と笹生優花も、そろそろ目覚めるのではないか、うまくいけば2,3人がリーダー

ボードを賑わせてくれるかもとの期待があった。

そして何と、その通りの展開となったのである。

大会初日、渋野はいきなりの3連続バーディーでスタートし、8バーディー2ボギーの-6

でトップに立っ。2日目、渋野は+2とスコアを落として7位に後退し、ー5を出した田

仁智がトータルー8で首位を奪う。3踊り出る。この日は渋野も負けずに-5で回り、田は踊り出る。この日は渋野も負けずに-5で回り、田はどまった。かくしてこの3人が次のスコアで最終日に挑

むことになり、4位以下にはほぼチャンスはなさそうに見えた。

        

         3日トータル    F9(OUT)  B9(IN)
  A.ブハイ    -14        -11          -3

  渋野日向子     -9        -4             -5

  田 仁智      -9        -4        -5

 

ブハイは2位に5打差をつけており、4打差以上の逆転勝利はない全英の歴史からすれ

ばブハイの逃げ切りが濃厚ではあったが、詳細に見てみるとそうとも言えない波乱要素

もうかがえた。

ブハイはOUTを得意とし、2日目と3日目の二日間で1イーグル9バーディーを奪った。

それに比し、INは5バーディー2ボギーと他の二人に劣る。とくに、最難関ホールにラン

クされる最終18番が2ボギーで相性が悪い。渋野と田は全く同じ数値であるが、渋野は

14番田は15番でいずれも2ボギーと相性が悪い。以上の分析から、もし前半で差が広が

ったならば追いつくのは難しく、1打でも縮まっていれば14,15,18番ホールが鍵にな

りそうな気がした。

”最後は3人がー12で並び、3人のプレーオフになる”

これが私の(希望的な)予想であった。

8mの強風の中、最終日の競技が開始された。

最終組は予想だにしなかった渋野・ブハイ組、その一つ前が田仁智・朴仁妃の韓国組で

ある。

スコアが動いたのは2番ホール、まず田がバーディーを奪い、これに渋野が続いた。と

ころが、2日目3日目バーディーのブハイがここでボギーを叩く。なんだか怪しくなって

きた。

前半を終えたところで3人のスコアは、ブハイー13、田-12、渋野-10、もはや射程

圏内である。この時点では、最も安定したプレーを続けている田がやや有利かと思われ

た矢先、10,12番でボギーを叩いてしまう。13番を終えた時点で、ブハイー13、渋野

-10,田-10となり、ここからは3人が、先に指摘したそれぞれのキーホールに挑戦する

というスリリングな展開となった。

先ずは渋野の14番である。ところがよさそうに見えたドライバーショットはバンカーに

かまり、彼女は3オン3パットのダブルボギー、万事休すである。

次いで田の15番、彼女は無難にこのホールをパーで切り抜けるが3打差のままだ。

そして、ここで事件が起きる。ブハイのティーショットが深いラフにはまり、何とこの

ホールでまさかのトリプルボギーを叩いてしまう。

3ホールを残して、ブハイと田が―10で並び、渋野が2打差のー8,まだまだ分から

ない。そして渋野が17番でバーディーをとり、1打差の中でブハイのキーホール最終

18番を迎える。

まず1組前の田がパーでホールアウトし最終組を待つ。

渋野がここでバーディーなら3人のプレーオフもありえたが、バーディーパットは惜し

くも外れ3位が決定する、ブハイはぺレッシャーのかかるパーパットを気合で沈め、遂

に優勝の行方はブハイと田のプレーオフの持ち越される。

 

夕闇が迫る中でのPOは18番ホールの繰り返しである。ブハイには悪いが、本日+4で

18番を苦手とするブハイは苦しかろうと誰もが予想する中で、ブハイが執念を見せ、

遂に4ホール目に田がボギーを叩いてブハイが歓喜の初優勝を遂げる。

 

勝利の神は”女神“である。

であるが故に、気まぐれで、ちょっといたずら好きで、時に意地悪な振る舞いをする。

イメージするなら「奥さまは魔女」のサマンサ‥ではなくて、その母親の方だ。

要するに”ハプニング“や”スリリングな展開“がお好きなのだ。だからゴルフ場にはよく

お見えになる。今回はブハイの球をちょっと曲げてみせたが、3年前の渋野には4パッ

トの試練を与えた。

しかし、やはりそこは女神である。恨んだり落ち込んだりしなければ、再び微笑み返し

てくれる優しさがある。

ブハイはこの勝利でランキングを84位から27位に上げ、渋野も41位から30位に戻した。

今回の全英で予選を突破した4人の日本人選手は、全員が15位以内に入るという大健闘

ぶりを見せてくれた。参加しなかった選手の中には稲見萌寧や小祝さくらなどの実力者

も控えている。日本女子ゴルフ界はまさに百花繚乱の時代を迎えたかのようで楽しみは

増すばかりである。

                         2022.08.11

ウィルスプラネット(J-116)

 

新型コロナの感染が第7波に突入し、過去最大の大波となっている。

7月23日には1日の感染者数が20万人を超え、そろそろ下がり始めてもよさそうなものだ

が、今日も各地域で最多記録更新が続いている状況だ。

だが世界を眺めてみると、このような局面にあるのは日本だけのように見える。米欧の

感染者数そのものは日本とそう変わらないレベルではあるが、グラフで見れば低いとこ

ろでの横ばい状態である。これらの国々はすでに“ウィズコロナ”状態であり、行動制限

などはほぼ撤廃されている。共通しているのは、どの国も少し前に感染急拡大の大波を

経験していることだ。ならば日本も今回の大波を経て、米欧よりも一段と低いレベルの

横ばい状態を迎えるということなのだろうか。そして、執拗に”ゼロコロナ政策“を続け

る中国だけが、取り残されるのかもしれない。

思い出すのは2年半前である。

日本に最初のコロナ患者が出たのは2020年2月1日で、同じ日に韓国でも1人の患者が出

た。この時中国は291人、中国の数字は常に怪しさを伴うとしても、まあその程度であ

る。それが世界の合計だ。

このブログを開設したのはちょうどその頃で、3月9日に発信したJ-1 (爺怪説―1)の

題は「COVID-19は最強か」となっている。この日の感染者数は、日本が28人累計527人

であるが、中国は36人累計80735人と早くもピークを過ぎて収束の気配である。以来、

コロナに関連したブログ発信はおそらく30回以上になるだろう。

当時、専門家たちの多くは、マスクは無効である、手を洗えと口をそろえていた。

日本の感染状況が際立って穏やかであることに対する謎解きがしばしば話題になり、私

も悪乗りして、“花粉症”や”腸内フローラ”との関連性があるのでは?などと発信したこ

とがある。しかし、今もって日本の特異性は解明されていない。

このころ、最大の関心は東京オリンピックを予定通り開催できるかどうかに向けられて

いた。コロナの今後の見通しについては様々な見解や意見が登場したが、それらの多く

は間違っていた。そして、半ば顰蹙を買った最も厳しい見通し-つまるところ集団免疫

が形成されるまで感染は続く、3年程度は覚悟する必要がある-という説が結果的に正

しかった。そういった見解を述べていたのは、医療関係の専門家ではなくウィルスの専

門家や歴史学者であった。

2年半を過ぎた今、初期とは比較にならないほどの感染拡大の真っただ中にありなが

ら、かくも平静でいられるのはなぜだろうか。その最大の理由はワクチンだとして、も

う一つ「情報の共有」も重要な要素としてあげねばなるまい。2020年の日本全体の死亡

数はコロナ以前に予想されていた数値を下回った。コロナが新たな死因として登場した

にもかかわらず、全体の死者数は増えなかったのである。つまり、他の死因―インフル

エンザなどーを減少させた効果の方が大きかったということになる。ウィルス学者が予

想したように、新型コロナは概ね弱毒化の方向に変異を重ね、かつて火葬場への順番を

待つために並べられた袋詰め遺体の海外映像を目にしたころの恐怖感は消え去ってい

る。人々はウィズコロナの意味を理解したかのようである。

そんな中で、7月23日に放映されたNHKBS1コズミックフロントには驚かされた。

そのテーマは「ウィルス・プラネット」である。“地球はウィルスの支配する惑星”とも

読める表題からして、かなり挑戦的なのだが、“雲をつくって天候を左右し、海の異変

を終わらせ、温暖化をも抑制し、ウィルスがいなかったら哺乳類は生まれてこなかっ

た”というその内容は、ウィルスのことが少しわかってきたつもりの私には衝撃的であ

った。映像で説明されると、その時はなんとなく理解したつもりになっても実は分かっ

ていないことが多いので、この際ざっと整理しておきたいと思う。

 

ウィルスとは何か

・ウィルスには、生物に共通する特徴、①外界塗膜で仕切られている。②代謝を行う。

③自分だけで複製を行う。のうち、②、③がないので生物ではないとされている。

しかしウィルスの定義は変化してきており、将来的には生物の仲間に加えられる可能性

が高いと思われる。

・ウィルスのサイズはとても小さく、30~400ナノメートル(1/30000~1/2500ミリ)

程度で、光学顕微鏡では姿を捉えられない。その存在が確認されたのは1898年である。

・ウィルスはいたるところに存在しすべての生物の10倍を超える。海水1mlに少なくと

も1000万個のウィルスが存在し、すべてを集めると10の30乗という膨大な量になる。

これはシロナガスクジラ7500万頭に匹敵する。

・風邪のコロナウィルス229E は1968年に発見され、今も病気を引き起こしている。

NL63というタイプは鎌倉時代に発生したとも言われている。

・今回の新型コロナはSARSRNA配列と酷似しており、「未知のウィルス」というより

は「SARSの弱毒型変異株」とでもいうべき存在である。(京大、宮沢孝幸)

 

海の生態系維持

赤潮ヘテロシグマという植物プランクトンが異常増殖することで起きる。この赤潮

突然消滅するが、その原因はプランクトンがウィルスに感染して死滅するからである。

しかし、ウィルスは宿主を全滅させることはしない。あたかも共存関係にあるように見

えるが、そのメカニズムはまだ解明されていない。

 

地球の水循環

雨は地表に降り注ぎ川となって海に流れる。そして蒸発して雲を形成し再び雨となって

地表に降り注ぐ。これが地球の水循環である。このシステムがなければ多様な生物が生

きることは難しい。実はこの水循環システムにウィルスが関係している。

赤潮と違い白潮を引き起こすのは「円石藻」という名の植物プランクトンである。これ

がウィルス感染により死滅すると、その殻が分解し飛散して空中に漂う。この小さな粒

子が水滴の核となって雲を形成する。つまりウィルスは間接的に水循環に寄与している。

 

温暖化の抑制

海の表層(光が届く上層)には植物プランクトンがいて、海水に溶け込んでいるCO2 

と太陽光を利用して有機物を合成する。つまりプランクトンはCO2 を取り込み、その分

だけほぼ飽和状態にある海水に、新たにCO2を溶かし込む余裕を生じさせる。光合成

よりCO2を取り込んだプランクトンがウィルスに感染して死滅すると、やがてそれらは

海底に沈殿し、結果としてCO2 (炭素)をため込むシステムとして機能している。

その現象を観察してマリンスノーと名付けたのは北大の井上、鈴木両先生だ。

地球温暖化の危機が叫ばれているのは、このバランス機能が追い付かないほどの温室

効果ガスを人間が排出しているということなのだろう。

これまで、海のCO2を固定してくれる主役はサンゴとばかり思っていたのだが、どうや

ら主役はウィルスらしい。

 

生物の進化への影響

ウィルスにはDNA型とRNA型があり、さらに細かく分かれて7つのタイプがある。

その一つがレトロウィルスと呼ばれるタイプで、時に感染した細胞のDNAを書き換え

るという特徴がある。それが普通の細胞なら一代限りでおしまいなのだが、生殖細胞

感染すると子孫に遺伝することになる。通常はそのようなことが起きないように生殖細

胞は強固に守られているが、恐竜絶滅の時代にむしろ積極的と思われるほどにレトロウ

ィルスの遺伝子情報を取り入れたことが在ると見られ、ヒトゲノムの実に8%がウィル

ス由来であることがわかった。この時期哺乳類はレトロウィルス由来の配列を利用して

急速に多様化したと考えられる。

「ウィルス・プラネット」という番組のおかげで「京大おどろきのウィルス学講義」を

読み返すことになったが、著者の宮沢先生は最後にこう記している。

“地球環境の変化の中で、生物とウィルスは何億年間も「共進化」の関係を続けてきた

可能性があります。その関係を探るためにこれからも研究を続けたいと思います”

ウィルスのことは、実はまだほんの少ししか分かっていないらしい。

しかしこれまでに分かったことからすると、ウィルスは生物の暴走状態を制御し、地球

全体のバランスを保つような働きをしているように見える。そして、環境の激変があっ

たときには、その環境に適応できるように生物の進化を促しているかのようである。勿

論それは生物のためというわけではない。生物なしには生きられない自身の運命であ

る。ときに人類がターゲットにされたかのような事象が発生するのは、そこに「人類の

暴走」が存在することの証なのかもしれない。

だとすれば、「ウィルスプラネット」も決してオーバーな表現ではない。

                         2022.07.28