樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

ウクライナのコサック魂(J-107)

 

大方の予想に反して、ウクライナが驚異的な頑張りを見せている。そのエネルギーの源は一体どこにあるのだろうか。

 “そのヒントはここにある”

ウクライナの国歌を引っ張り出してきたのがフジTVの「めざまし8」である。

いいところをついていると思うが、言葉足らずの感がしたので少々掘り下げてみたい。

日本語訳は色々あって、定番らしきものはなさそうだったので、そのいくつかを参考に

して、自分流に意訳してみた。

 

     <ウクライナは永遠に> 

   1.ウクライナの栄光と自由は滅びず

     運命は再びわれらに微笑む

     敵は陽の下の露と消え

     我らの地は自ら治める

     身魂を捧げよう 自由のために

     そして伝えよう 我らがコサックの末裔であることを

   2.同胞たちよ 戦場であろうとも

     立ち上ろう サン川からドン川まで

     我らは他者による支配を認めない

     ウクライナに幸運は再び巡り

     黒海は微笑みドニプル川は歓喜に満ちる

     身魂を捧げよう 自由のために

     そして示そう 我らがコサックの末裔であることを

   3.我らの忍耐と努力は報われ

     自由の歌はウクライナに響き渡る

     カルパチア山脈にそして草原に

     ウクライナの名声と栄光は世界に知れ渡る

     身魂を捧げよう自由のために

     そして示そう 我らがコサックの末裔であることを

 

この歌に謳われているのは「自由」と「独立」であり「不撓不屈」の精神である。

そして、繰り返し強調されているのは、“我われはコサックの末裔である” という自分

たちのルーツである。

では、コサックとは何者なのか。

「コサック」という言葉は、「自由な人」「豪胆な者」を意味するトルコ語由来だそう

だが、時と場合によっては「放浪者」「無法者」といったニュアンスもあるらしい。

遺伝子的にはタタール人とスラブ人の混血が主体となっているようだ。

元々はウクライナと南ロシアのあたりに生まれた軍事的共同体で、16世紀ごろにはポー

ランドに属するザポロージャ・コサックとドン川流域でロシアに依存していたドン・コ

サックの二つに分かれていた。自由と自治を好む性格から、しばしば反乱を起こしては

抑えつけられるということを繰り返していたが、ロシア革命後のソ連の時代には苛烈な

弾圧を受け、人口の7割が死亡したとも言われている。そのために、WWⅡではコサッ

クはドイツ軍に味方した。今次のウクライナ戦争では両者が相手を“ナチ”呼ばわりして

いるが、どちらにもこじつけはあるにせよ言い分があるともいえる。

2番の歌詞に出てくるサン川は、ポーランド国境のカルパチア山脈からバルト海に達す

ヴィスワ川の支流でポーランド領にあり、ドン川はヴォルガ川と運河で結ばれたロシ

ア領内の大河であって、いずれもかつての東西の激戦地である。

歴史的に見れば、ロシアとウクライナは密接なつながりがあり、プーチンベラルーシ

ウクライナは同胞であり一体だという。しかしウクライナにしてみれば迷惑な話だ。

彼らにとってプーチンがやっていることは、例えが悪いかもしれないが、いわば“俺の

女に手を出すな”と凄むヤクザか “ストーカー殺人” に近い感覚かもしれず、このし

こりは日韓関係どころのレベルではなさそうにみえる。

それにしても、ウクライナ人の不撓不屈の精神には恐れ入る。

先の北京パラリンピックでは世界第2位のメダルを獲得したが、今にして思えば、それ

も逆境に強いウクライナの証明だったのだろうか。

これが”コサック魂”といえば恰好はいいが、そろそろ何とかならないものか。

                         2022.4.22

東大入学式から小さな波紋(J-106)

4月12日の東大入学式における来賓祝辞が、小さな波紋を広げている。

この日来賓祝辞を述べたのは、東大校友会会長の宗岡正二氏と映画監督の河瀨直美氏の

お二方であったが、ちょっとした騒ぎとなっているのは河瀨監督のスピーチだ。

その全文は東大のホームページなどで見ることができるが、正直なところ私には分かり

にくい表現が多く、頭脳明晰な若者がどのように理解したのか、少々気になっている。

私の頭で河瀨氏の主張を要約すれば、「自由に生きることの苦悩と魅力を存分に楽しみ

ながら、当たり前と思っていることの奥に隠れている真理を追求してほしい」といった

ところだが、河瀨氏は自身のこれまでの歩みといくつかのエピソードを紹介しながら、

その説明をしようとしているように見える。

物議を醸しているのは、その中のあるエピソードに関連する部分である。

節分の豆まきで「福は内、鬼も内」と掛け声をするお寺の管長と対話する機会があった

際、その管長がつぶやいた「僕は、この中であれらの国の名前を言わへんようにしとん

や」という言葉に氏は反応する。

“この言葉を私は逃しませんでした。管長様にこの言葉の真意を問うた訳ではないの

で、これは私の感じ方に過ぎないと思って聞いてください。管長様の言わんとすること

はこういうことではないでしょうか? 例えば「ロシア」という国を悪者にすることは

簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとし

たら、それを止めるにはどうすればいいのか、何故このようなことが起こってしまって

いるのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろう

か?誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで私は安心していないだろうか?

人間は弱い生き物です。だからこそ、繋がりあって、とある国家に属してその中で生か

されているとも言えます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性がある

ことを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って

それを拒否することを選択したいと思います。”

 

これに対して、SNSを中心に“悪いのはロシアに決まっている”といった調子の意見が殺

到し、果ては著名な大学教授までもがご登場する騒ぎに発展した。

東大の池内教授は「侵略戦争を悪といえない大学なんて必要ない」と言い、慶応の細谷

教授は「ロシアとウクライナの違いを見分けられない人は人間としての重要な感性の何

かが欠けているか無知かのどちらかだ」と言い放った。

また、東京外大の篠田教授は“「どっちもどっち」論を超越的な正義として押し付けよ

うとする人々がこの社会で力を持っている”と名指しを避けながら一部著名人の言動を

批判した。

 

しかしよくよく見ると、河瀨氏はロシア寄りの発言をしているわけではない。

「悪」を存在させることで「私は」安心しているのではないだろうか、と言っている。

私は真実がつかめていない、私は無知なのだ。もしかすると皆さんもそうではありませ

んか、と語りかけているのである。

では河瀨氏の発言に問題はないのかというと、実は大いなる問題がある。

それは最後の“自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚し

ておく必要があるのです”というところだ。

今回の騒ぎは、本来この部分に対する批判が中心であるべきであったと思う。

今回の戦争を観察して、“自分たちの国がどこかの国を侵略する可能性があることを自

覚しなければならない”というべき対象はロシア国民とその他少々の国であって、どう

考えても今の日本の若者に対して言う言葉ではない。見通せる将来において、自覚すべ

きは、略侵する側よりも侵略される側になることの可能性である。やはり、ウクライナ

のような事態にならないためにはどうすべきかとなるのが普通の感覚だ。

 

今回の河瀨氏の発言が何事もなく過ぎ去ったとすればそれもある意味怖い話だが、波紋

を広げたと言ってもそれはあくまで小さな波紋に過ぎない。しばらくアンテナを伸ばし

ていたが、大手メディアは取り上げる気はなさそうである。

なぜ河瀨氏が来賓祝辞を述べることになったのか。なぜ大手メディアは無視を決め込ん

でいるのか。そこがいささか気になるところであるが、河瀨氏の言葉を借りて誤解を恐

れずに言うと、“いわゆる東京裁判史観がいまだ広く深く浸透している”ということかと

やはりなってしまう。勿論こう言えば「どっちもどっち」論者から突っ込まれることは

覚悟の上である。

                          2022.04.17

 

中国の狙いは「漁翁得利」か(J-105)

 

ロシア軍の突然のウクライナ侵攻から50日、戦況はまさに泥沼化の様相である。

現在は、ウクライナ東部が主戦場となっているが、ロシア軍の民間人大量虐殺の実態が

明らかになるにつれ、一時は期待もされていた停戦・和平交渉はどこかへ吹っ飛んで行

ってしまったようだ。 NATOからの武器支援と半ば無責任な世界の応援団に押され、

ウクライナもやすやすと白旗を揚げる訳にはいかない状況になってきた。

今後の予想については二つの見方がある。一つはウクライナ全土の制圧と政権転覆を諦

めたプーチンが、5月9日の「対独戦戦勝記念日」までに何らかの成果―例えばドンバス

地方の完全制圧―を出して勝利宣言をし、ロシア側に有利な停戦・和平交渉に持ち込む

というものであり、もう一つはまだまだ終わらず最悪2~3年は戦争状態が継続するとい

うものだ。

いずれにせよ、主導権はロシア側にあり、ウクライナには気の毒だがウィン・ウィンの

決着は望めそうにない。

世界の多くの国々は厳しくロシアを非難するものの、核のボタンを収めたカバンをちら

つかせるプーチンの前に、直接介入はできない。数次にわたって強化された経済制裁

よるロシア経済のダメージは相当な規模に及んでいるようだが、これに同調しない中・

印の貿易額の方がはるかに大きいので、その効果は限られたものとなる。

要するに、カギを握っているのは中国なのである。

毎日新聞の社説(4.10)は「大国にそぐわぬ利己主義」と題して中国の外交姿勢を次の

ように批判した。

“中国の姿勢はロシアによる侵攻から1か月以上過ぎた今も曖昧なままだ。

「主権と領土の一体性」の尊重を訴えながら、対露批判は避けている。

・・(中略)・・

中国は「国連中心の秩序」を掲げてきたはずだ。ロシアへの国際的な圧力を弱めるよう

な言動は大国としてふさわしくない。“

 

この社説、一言で言えば”甘い“。

”日頃ご立派な貴方らしくない”と阿っているようにさえ感じられる文脈だ。

識者の中には“中国は困っている”と論評する人もいる。

ロシアにもウクライナにも友好関係を維持しているからだという。

これもまた中学生レベルの分析である。

 

中国は板挟みになっているわけではない。明らかにロシア側に立っている。

しかし中ロ関係を歴史的に見れば、むしろ敵対関係にあった期間の方が長く、両国が手

を結ぶのは概ね共通の敵が存在する場合に限られている。かつての日本や今のアメリ

がそれだ。

中国は、“現在の状況を憂慮する”と言いながら、実は”いい塩梅だ“と思っているかもし

れない。戦争が長引けば長引くほど中国の存在感は増大する。両者が疲れ果てたところ

で仲裁役としての出番が回ってくれば最高だ。一方ロシアは、勝利したところで弱体化

は避けられない。それは中国に対する潜在的な脅威を低下させると同時に、米欧との対

立構造をさらに拡大させて結果的に米欧の対中圧力を分散させることになる。

偏見かも知れないが、中国は対等な同盟関係を結ぶことが嫌いな国のようである。

それはおそらく”約束“とか”契約“に対する意識が緩いからなのだろう。

だから、中露が軍事同盟を結ぶことは金輪際あり得ないと思う。

中露の信頼関係は“理”ではなく“利”によって左右されるのである。

中国は今、“何もできない”のではない。それが最も”得”だと思うから“何もしない”のだ。

待っているだけで、“嫌われロシア”の資源を優先的に確保し、廃墟と化したウクライナ

の復興支援をする“という状況がやってくる。これこそ中国のベストシナリオだ。

だから中国は傍観している。漁翁得利すなわち「漁夫の利」作戦である。

中国にとっての心配事があるとすれば、「プーチンの失脚」による終結なのだが、そこ

に至るルートは中国の態度によって大きな影響を受ける。よって今後中国の態度に変化

が生じるかどうかは、最も注視すべきポイントのようにも思われる。

                           2022.04.14

 

首相公選制を再考する(J-104)

あまりホットな話題ではないが、今世界で起きていることと無縁ではないとも思うの

で、この際「首相公選制度」について再考してみたい。

このテーマは、私の頭の中では賛否いずれの引き出しにも収まらず、長らく一時保管箱

に入れられたまま放置されてきた。というより、停滞する日本のカンフル剤になるかも

しれないこの制度改革に対して、識者も国民もすっかり熱が冷めてしまっている。

今なお旗印に掲げているのは「維新の会」だけかもしれない。

 

首相公選論が初めて登場したのは、戦後まもなくの1945年のことだ。新憲法制定のため

に組織された「憲法問題調査委員会」において、野村淳治東大名誉教授が提案したのが

始まりらしい。

その後、1961年に中曽根首相が提唱したことがあるが、大々的に検討されたのは2001年

小泉首相が私的諮問機関として立ち上げた「首相公選制を考える懇談会」においてで

ある。この懇談会は佐々木毅東大総長を座長とする11名の有識者たちで構成され、12回

の会議を経て1年後に報告書を提出した。

報告書では3つの案が提示され、それぞれの特徴や実現するための要件などが述べられ

ているが、最初から特定の案を推奨したり優劣を論じたりするものではなかった。

三つの案を簡単にまとめれば次のようなものとなっている。

 

第Ⅰ案:国民による直接選挙(大統領制に近い)

    立法と行政の厳格な分離(閣僚は国会議員との兼務不可)

    任期4年、3選を禁止

    首相の権限は強化されるが、議会とのねじれ現象が起きやすい

第Ⅱ案:議院内閣制を前提にした首相統合体制

    首相候補者を明示して衆院選を行う。(衆院選が事実上の首相指名選挙に)

    閣僚は基本的に国会議員から指名

第Ⅲ案:現行憲法の枠内における改革案

    制度的な問題や慣行に関する課題を是正し政府と与党との食い違いをなくす

    具体的には・党首選出手続きを国民一般に開かれたものとする。

         ・首相の人事権強化

         ・政権担当中の与党党首任期規定の停止  など

 

首相公選制度の狙いは、首相のリーダーシップがより発揮できるようにすることであ

る。端的に言えば、”決められる政治“への転換だ。私も以前は橋本徹氏などの口車に乗

せられてどちらかといえば賛成側にいた。ところが、不思議なことに議院内閣制を採用

している国の中で、首相公選制度を設けている国は皆無なのである。だから参考とすべ

きモデルがない。唯一1992年に公選制に変えたイスラエルは、予想に反して小政党が分

立して政局が不安定になり、わずか3年で元に戻してしまった。だからと言って、日本

もそうなるとは思われないし、イスラエルの失敗がこの議論に冷水を浴びせたわけでも

なさそうに思う。

問題は、先に紹介した「懇談会」が提示した3案のうちⅠ、Ⅱ案は憲法改正が必要で、

Ⅲ案はとても首相公選制とは言い難いからである。しかも、Ⅰ、Ⅱ案は、憲法改正に手

を付ける前に、参議院の在り方、衆参の選挙制度の在り方、政党法の問題を片づける必

要があるのだという。とてもじゃないが、今の政治家にそのような覚悟とエネルギーが

あるはずもなく、この問題はいわば”泣き寝入り“のかたちで火が消えてしまった。

 

しかし、最近になって私の考えは変わった。首相公選制はあまり良くないかもしれない

と思い始めたのである。逆に"箸にも棒にも掛からない”と思っていた第Ⅲ案を練り直

せば十分ではないかとも思うようになったのだ。

その訳は、ロシアと韓国にある。最近の両国の事情は、直接選挙でリーダーを選出する

政治形態のリスクを如実に表している。直接選挙によるリーダーの選出は、必ずしも適

格者が選ばれるとは限らず、強力な権限の付与は独裁を生む可能性が少なからずあると

いうことだ。

歴史における大いなる悲劇と無残な殺戮は、概ね独裁者によって演じられてきたと言っ

ても過言ではない。しかもそれらは、戦争よりもむしろ内部抗争や権力強化のためであ

ることが多い。

“もうそんなことは起こるまい”ということが何度も繰り返されるのが現実だ。

”災害は忘れたころに・・・”というが、”人災は忘れる間もなくやってくる”のである。

 

韓国では、激しい選挙戦を制した尹次期大統領が公約に掲げていた、青瓦台の移転を巡

りもめている。現大統領がその予算を認めないからである。彼自身が2017年の選挙で公

約していながらそれを破棄した移転問題であるにもかかわらず、最後の嫌がらせをして

いるわけだ。おそらく新旧大統領は、5月に交代した後の戦い(訴追)に向けて準備を

進めているところだろう。選ばれたとはいえ票差はわずかであり、議会との大きなねじ

れが残されたままで船出する新大統領の行く手は嵐の海だ。これほど国が真二つに割れ

てしまった原因の一つが、直接選挙によるリーダー選びだとすれば、そのリスクは避け

た方が賢明ではないだろうか。

一方ロシアでは、独裁政治に見られる典型的な弊害が明らかである。

国中が極端な情報コントロール下に置かれる中で、忖度と同調圧力が蔓延し、まるで

新種の恐怖政治が出現したかのようである。

しかしながら、世は諸行無常である。先に行われたクリミア併合8周年祝賀行事におい

て、プーチンが演説する場面を実況放映中突然画面が切り替わるというハプニングがあ

ったが、これを放送事故というのはかなり無理がある。いずれにせよ、プーチンの先は

そう長くはなさそうに見え、花束と拍手で見送られることにもなりそうにない。

 

というわけで、一時保管箱にあった「首相公選制度」は「反対」の引き出しにしまうこ

ととする。ただし、現状に満足しているわけではない。せめて、首相の任期中は与党の

党首指名選挙を控える程度の改革は進めてほしいものだと思う。首相や閣僚がコロコロ

変わるのは外交上も大きなマイナスだし、それを密室でやられるのも気分が悪い。

                         2022.3.26

 

コロナは中国より出でて中国に還る(J-103)

 

過去最大の大波となったオミクロン株による第6波は、ピークを過ぎて下降局面にはあ

るものの、未だ新規感染者が1日5万人程度の“高止まり”の状況にある。

そんな中で政府は、「蔓延防止等重点措置」を予てのプラン通り21日をもって全面解除

とすることにした。

その決定に異を唱えたのは立憲民主党共産党のみで、メディアや医師会などは案外反

発していない。至極当然だとも思うのだが、その背景にはワクチンと変異株の弱毒化が

ある。ここにきて、新型コロナへの恐怖感は著しく希薄化しているのである。

世界もまた同様だ。というより、世界は一足先にその域に到達している。

人口約570万のデンマークは、一日の感染者数が過去最大の5万人を超えた2月1日の時点

でほぼすべての規制を撤廃した。累計感染者数が国民全体の5割を超え、もはや規制に

意味がなくなると同時に、恐怖感も消えてしまったようだ。国民の多くは、“みんな一

度は罹るけど、ワクチン打ってるから大丈夫”といった雰囲気である。

オーストリアもまた3月5日にほぼ制限を撤廃した。その代わりに、この国ではワクチン

接種を義務付ける法案が成立し、15日から施行されている。

ロシアのウクライナ侵攻もあってか、このところコロナの話題は激減した。しかし、

2年を超えるウィルスとの戦いの中で各種のデータも蓄積され、いろんなことが分かっ

てきた。今こそ我が日本も、将来に備えた学習が必要だと思う。

 

感染拡大初期において危機的状況に陥ったイタリア・スペインや、その後感染者が急拡

大したアメリカ・ブラジルなどの国々は、今は比較的落ち着いた状況にある。一方で、

当初は優等生と言われていた韓国・ベトナム・オーストラリアといったところが、今は

感染拡大の真っただ中にある。中でも、最悪の事態となっているのが韓国だ。

韓国は2020年初め、新型コロナが”武漢肺炎“とも呼ばれていた時期に、いちはやく感染

が拡大した。しかしその後、“K防疫”と自称する対策が効いたのか一旦は沈静化に成功し

た。累計感染者数が100万人を超えたのは今年の2月6日で、そこまでは、日本の3分の1

以下に抑えられていた。ところがそこから2週間で200万を超え、その後も7日、5日、3

日、3日、3日毎に100万人ずつ積み上げて、遂に3月16日には62万人という最大値を記

録し、わずか2日間で100万人に達して収まる気配がない。累計感染者数は825万人を超

え、あっという間に日本を抜き去ってしまった。

次は、憲法によって国民に移動の自由が保障され、とくに強い感染防止対策がとられな

かったスェーデンの状況を見てみよう。

スェーデンは、欧州各国がロックダウンなどを実施する中で、日本同様の“お願い”

ベースに終始し、半ば無策の“集団免疫戦略”だと一時は非難された。それを裏付けるよ

うに初期段階での死者数も多かった。そこには、介護の現場に移民出身のパート勤務者

が多いという事情や、集中治療を必要とする場合、必ずしも高齢者が優先されないとい

った理由もあったとされる。しかし、それらの問題はあったにせよ、現時点における

データからすれば、EU諸国と比べて死亡率が高いとは言えない。

ここで主要な国と特徴的な国のデータを眺めてみよう。

(データの根拠は、「日経新聞の新型コロナ感染マップ3.16」である。

 また、人口比の数値は、人口を感染者数あるいは死亡数で割った値、

 つまり「何人に一人が感染又は死亡しているか」を表している)

 

            人口   感染者数  人口比  死亡数   人口比

    日本     1億2686万  591.4万   21.5   26,625   4,765

 

    米国    3億2906   7963.2    4.1   968,329    340

   イタリア                   6055           1356.3           4.5           157,314            385

      オーストリア         892             328.4            2.7             15,289           583

A       英国                  6753           2005.9         3.4           163,833           412

          仏        6513           2394.4            2.7           141,640           460

             独        8351           1802.8           4.6            126,424           660

          デンマーク        577             302.5           1.9                 5305         1,087 

 

          ベトナム       9734               682.5          14.2            41,607         2,340

B        韓国       5122              825.6            6.2             11,481        4,461

          豪州       2569              376.3            6.8               5,662        4,537

 

       スウェーデン       1003               247.2           4.1              17,937          559

C       中国    14億3932                78.6        1831                9483     151778

         (香港)        740         66.2    11.1          4,847        1,526

 

この表のAグループはアメリカとEU の国々で、感染拡大の時期や波の様子など途中の

状況には大きな差があっても、データは次第に接近して来るということがよくわかる。

デンマークは国民の50%以上が感染しているが、まだ完全な集団免疫が形成されたとも言え

ず、コロナとの戦いが容易には終わらないことを示している。

Bグループは、初期段階で“優等生”と言われた国々である。日本もこのグループに入る。

このグループは、オミクロン株に変異してからの感染拡大が激しく、Aグループのデー

タを追いかけている状況にある。但し、死亡数は著しく抑制されている。

Cグループは、独特の特徴を示している二つの国である。

スウェーデンは、前述の通り、他のEU諸国と異なる対策を実施してきたが、最後にはEU諸国

の平均に近いデータとなっている。つまり、日本的に言えば“人流抑制”はさほど効果が

ないことを示しているようにも見える。

中国は、はっきりいってよくわからない。極端な都市ロックダウンが効いているのは確

かだが、ここまで感染拡大を防げているのは不思議でもある。ただ、よりデータが本当

らしく思われる香港の状況を見ると、その実態は現時点で世界最悪かもしれない。いく

つもの異なるレポートが存在するが、中には感染爆発ですでに市民の半数以上が感染し

たと推定する報告もある。

いずれにせよ、中国は新型コロナの”震源地“でありながら、世界で最も(強いて言えば

北朝鮮に次ぐ2番目の)”感染不拡大の国“であった。しかしながら、これまでの世界の感

染状況を振り返ってみると、いずれは同じ道をたどることになるのではないかという気

がしてならない。

それを望んでいるわけではないが、新型コロナウィルスとの戦いは、つまるところ

“中国を出でて中国に還り、旧型すなわち普通の風邪として認知されるまで続く”

と覚悟しておいたほうがよさそうだ。

                           2022.3.19

 

ウクライナの出口(J-102)

2月24日に準備万端整えたロシア軍が一方的にウクライナ侵攻を開始して、早2週間が過

ぎた。その間これ以上のテーマはなく、またどのように頭の中に収めればいいのか、

考えが纏まらない。そんなわけで、毎日大量の情報をインプットしながらもブログに手

を付けられないでいるのだが、なんとかこの出口が見えない厄介な問題に喰らいついて

みたいと思う。

 

まるで何世紀か前にタイムスリップしたかのような、ロシアの暴挙である。

「ロシアではなく、プーチンのと言ってくれ」

と言いたいロシア人も少なくないかもしれないが、長きにわたり彼の独裁を許してきた

ロシア国民も世界からの非難と無縁ではない。

この戦争、圧倒的な戦力差からして、当初は2,3日程度で片が付くと誰もが予想してい

た。おそらくプーチンもそうであったろうし、私自身もキエフが陥落しゼレンスキ

ー政権が倒れるまで、1週間はかかるまいと思っていた。

ところがロシア軍は、激しいウクライナ側の反撃により各所で進路を阻まれている。

亡命するのではないかと言われていたゼレンスキー大統領も国内に留まり、連日SNS

で国民を鼓舞し、世界に向けてロシアの無法を訴え、援助を求めている。

しかしながら、戦いが長引けば長引くほど悲劇そのものは積みあがっていく。

ウクライナの抵抗を持続させているのは、紛れもなく米欧などの武器供与を含めた間接

的支援だ。つまり、皮肉なことに、世界の“戦争不拡大方針”がウクライナの悲劇を長引

かせているのである。何事もないかの如くパラリンピックを続け、オミクロン変異株だ

のワクチン効果だのと言って騒いでいられるのも、言い過ぎかもしれないが、所詮は

ウクライナの悲劇を”他人事”としてみているからだ。

 

今更に思い知らされるのは、「核」の”絶対的影響力“である。

1991年、ソ連崩壊により独立した時のウクライナは、世界第3位の核保有国であった。

しかしその状態は、当然ながら5大国の望むところではなく、ウクライナは領土の一体

性が守られる保障と引き換えに核を放棄し、中立国として生きる道を選んだ。しかし、

そのような約束が未来永劫守られた例はなきに等しい。今、ウクライナが一方的に攻め

られる羽目になったのも、あるいはこの戦争が拡大せずにいられるのも、善し悪しは別

にしてウクライナが核を放棄したからだと言えなくもない。プーチンは怖い顔で核をち

らつかせ「黙って見てろ、すぐ終わる」とでも言いたげである。

「核」は何度も繰り返されてきた印パ戦争に終止符を打ち、北朝鮮独裁王朝の命綱にも

なっている。畢竟、核を持たざる国は、いずれかの核保有国の傘の内に入れてもらうよ

りほかはない。

ウクライナは、ロシアよりもNATOを望んだわけだが、NATO側にしてみれば喜んで火種

を懐に入れるわけにもいかない。

ではロシア側はどうなのか、ロシア側のベストはウクライナ全土の併合なのだろうか。

プーチンになったつもりで地図を広げてみよう。

バルト海からバルト3国―ベラルーシウクライナを経て黒海に至るこの地域は、ほと

んどが平原で遮るものがなく、しかも東西両陣営の接点となっている。だからこの地

は、否応なく幾たびも戦場となってきた。そればかりか、勝利した側に組み入れられる

という歴史を繰り返し、独立国として存在できた期間はわずかしかない。だから、プー

チンが“ウクライナは同胞・兄弟”と言うのも、一つの時代を指しているに過ぎず、多く

ウクライナ人にとっては、それはむしろ苦々しい記憶の一つなのかもしれない。

長きにわたり他民族の支配下にあったウクライナ人は一枚岩ではない。細部をみると、

東部地域にはロシア人が多く(東部:30%、西部:5%)ソ連時代を懐かしむ人たちが

半数近く存在する。つまり、国民の意識は親EU、親ロで二分されており、そこがプーチ

ンの”大義名分“にもつながっている。

おそらくプーチンは、ウクライナ全土の併合を望んではいない。全土を併合すれば親EU

派を抱え込んだまま直にNATO側と国境を接することになるからだ。

 

3月12日、最新の情報では、ロシア軍がいよいよウクライナの首都キエフを包囲する寸

前にまで迫っているらしい。同時にロシア経済の方は急速に悪化しており、プーチン

無法・暴挙の実態も徐々に国民の知るところとなっている。実はプーチンの足元にも危

険が迫りつつあるのである。

一方ウクライナのゼレンスキー大統領は、NATO側に要請した戦闘機の供与を断られた

ことで限界を感じたのか、“NATO入りを目指さない”と譲歩の姿勢を見せているという。

しかしその程度でプーチンが矛を収めるとは思われない。すでに予定をはるかに上回る

軍の犠牲を払い戦費を費やして、手ぶら同然で"一本締め”とはいくまい。

そもそも、プーチンの“怒り”は、

“1990年に東西ドイツが統一される際、東独に駐留していた10万のソ連軍を撤収させる

条件として、アメリカのベーカー国務長官ゴルバチョフにNATOを東に拡大させな

いと約束したはずである”

ということに端を発している。しかし、国際関係において、約束破りは珍しいことでは

ない。約束を守るのは日本くらいのものである。

だからプーチンは”NATO入りをあきらめる”程度の約束事ではおそらく妥協しない。

もし、数日のうちにキエフが陥落し、ロシアの銃口の下で和平交渉が行われることにな

った場合、おそらくプーチンウクライナの分割を要求するだろう。例えばドニエプル

川以東を東ウクライナとして傀儡政権による独立国家をつくるといった構想だ。

少なくとも、クリミア半島ドネツク、ルガンスクの領有権放棄は認めさせようとする

だろう。

もし、キエフが陥落したのちもゼレンスキー政権が生き残り、例えば西部のリヴィウ

たりを拠点としてウクライナの抵抗が続いた場合は、つまるところは両国民の”我慢比

べ”となる。

色々考えてみても、両者ともにハッピーエンドを迎えるような結末は想定できず、どう

転んでも”火種”を残したままの決着しか思いつかない。

最後にただひとつ言わしてもらうならば、

ウクライナの出口はプーチン失脚の入口へと繋がっている”

という希望的観測である。

                             2022.03.13

プーチンに”まさか”はない(J-101)

2月24日、ロシア軍がウクライナへの全面的な侵攻を開始し、首都キエフに迫っている。

北京五輪の前あたりから、アメリカなどが“もはや秒読みの段階”であると警報を発して

いたが、日本のメディアや識者は“まさかそこまではやらないだろう”“オリ・パラ期間中

はないだろう”と能天気な発言を繰り返していた。彼らは完全にプーチンを見誤ってい

たことを恥じねばなるまい。  プーチンに“まさか”はないのである。

 

侵攻の理由について、プーチン大統領は“ウクライナ政権によって8年間虐げられてきた

人々を保護することが目的だ、ウクライナ軍の武装解除を目指す”とTVを通じて演説した。

ウクライナでは、8年前に親露派のヤヌコヴィッチ大統領が失脚し、欧米寄りのポロシ

ェンコに代わった。その後を継いだ現大統領ゼレンスキーもEUNATO入りを目指して

いる。ゼレンスキーはもとコメディアンで、{国民の僕}という連続ドラマで主人公の

大統領を演じて人気者となり、まるで続編を演じるかのように今度は本物の大統領にな

った44歳の人物である。プーチンはこの大統領の首をできればベラルーシのルカシェン

コのような人物に挿げ替えたいのであろう。

彼としては、元ソ連を形成していた国々が次々に剥がされていくことに我慢がならなか

ったのであろうが、今の時代、このような手法が強烈な反発を受けることは自明であ

る。それを分かっていて強行するのは、プーチン自身のいわば”個性“に起因するところ

が大きいのではないだろうか。

彼は尊敬する人物として、ナポレオン、ドゴール、それに元西独首相のエアハルトをあ

げている。一言で言えば“突破力”のある人物だ。しかし私は、1971年にドイツ統一を果

たして“鉄血宰相”と呼ばれた、あのビスマルクの有名な演説の一節が頭に浮かぶ。

“言論や多数決によっては現在の大問題は解決されない。鉄と血によってのみ解決され

る”という言葉だ。

プーチンのここまでの足跡をたどれば、自ずから彼の人物像が見えてくる。

・彼は1952年レニングラードで生まれた。父親は傷痍軍人で機械技師、祖父は料理人で

裕福な一家ではなかった。兄が二人いたが若くして病死したので、彼は一人っ子のよう

に育った。幼少の頃は、かなりのわんぱく小僧だったらしいが、14歳のころ映画などの

影響でスパイにあこがれを抱き、どうすればいいかを聞くため直接KGBを訪れたとい

う。そして、そ戸で受けたの助言通り法律を学び体を鍛えて1975年にKGBに入る。

・1991年、彼は中佐でKGBを辞職するが、レニングラード市長のサプチャークに見いだ

され副市長として辣腕を振るう。この時、レニングラードサンクトペテルブルクに名

称を変える。サプチャークは、プーチンの恩師であるが、のちにプーチンと大統領/首

相を交互に勤めるメドベージェフも彼の教え子である。

・1996年、サプチャークが選挙に敗れるとプーチンも新市長の継続要請を断り辞任す

る。すると今度は大統領府から声がかかり中央政界への道が開ける。

・1998年にはKGBの後身であるFSB の長官に就任すると、エリツィン大統領のマネーロ

ンダリング疑惑を捜査していた検事総長の女性スキャンダルを暴いて失脚させたり、政

敵のエリツィン追放クーデターを未然に防止するなどして、エリツィンの絶大な信頼を

得る。

・199年には首相に就任、同年末にエリツィンが健康上の理由で辞任し、ついにプーチ

ンは大統領代行となる。

・大統領代行となって最初にやったことは、大統領経験者とその一族の生活を保障する

という大統領令に署名することであった。これはエリツィンの恩に報いるだけでなくわ

が身の安全をも保障することになった。そして4か月後の選挙に勝って正式に大統領に

就任する。

・2000年、国歌を改める。ロシア国歌は、ソ連崩壊後メロディーのみの新国歌が作られ

てはいたが、国民の間では不人気であった。プーチンはそれを廃棄し、ソ連時代のメロ

ディーを復活させるとともに、ソ連国歌と同じ作詞家に命じて新たな歌詞を付けさせた

のである。この事実は、彼がソ連崩壊により解体した共産党の党員証を今も大事に持っ

ていることと合わせて考えると、プーチンを知る上での重要なヒントになる。

つまりプーチン旧ソ連に対する”思い入れ“が相当に強いと考えてよい。

・2004年地方の知事を直接選挙制から大統領による任命制に変更。

・2006年、反プーチンの活動家たちの不審死が相次ぎ、政府側の関与が疑われる。

 女性ジャーナリストアンナ・ポリトコフスカヤが自宅アパートで射殺される。

 もとKGB のリトビネンコが放射性物質ポロニウムを飲まされ死亡。

 2007年イギリスに亡命したベレゾフスキーの暗殺計画が発覚

 1999年~2006年までに死亡または行方不明となったジャーナリストは126人に達する

 (ロシア情報公開擁護財団)というレポートもある。

・2008年憲法により制限されている2期を務め大統領を退任。後継者にはプーチンが首

相に指名していた”弟分“のメドベージェフが選ばれ、自身は首相となって事実上の最高

権力者であり続ける。またこの間に、知事を国家公務員にして首相の管轄下に置くとと

もに、大統領の任期を6年とする法改正を行う。

・2012年、それが予定表であるかの如く大統領に復帰する。

・2018年、得票率76%で再選を果たす。

・2020年大統領権限の一部を議会に移管するとともに国家評議会の権限を強化する方針

を表明。(大統領退任後国家評議会入りして院政を敷く布石と見る向きもある)

・2021年国民投票を経て、あと2回立候補できるよう憲法を改正、2036年まで大統領を

続ける可能性が生まれる。

・2022年ウクライナ侵攻を開始する

 

以上、大統領になるまでのプーチンは、常に誰かに抜擢される運の良さとそれに見事に

こたえる能力が際立っている。そして”恩を仇で返す”ような裏切りは全くない。

ところが、大統領になってからは、暗黒面ばかり取り上げてきたにせよ、まさに

”やりたい放題のプーチンさん“である。外交の場面でも、とにかく”相手を待たせる”

ことで評判が悪い”嫌な奴”をわざと演じている。しかし、フォーブスの「世界で最も影

響力のある人物」に4年連続で選ばれるなど、その存在感は絶大だ。

長年にわたる彼の”暴走“のエネルギーはどこからきているのであろうか。

それはおそらく彼の頭の中にある“祖国の栄光の時代”をイメージした“愛国心”と国民の

支持にある。実際彼は、ソ連崩壊後地に落ちたロシアを立て直してきたことは間違いな

い。だからこその国民の支持であり、これまでの軍事行動も国民の支持を得てきた。

しかし、今回のウクライナ侵攻に対する国民の表情は少々異なっているように見える。

プーチンの暴走を止められるのは誰かと言えば、それはロシア国民しかない。

戦争をやめさせられるのはロシア国民だ。だから、効果を求めるならそこに視点を向け

るべきなのである。つまり、ロシア国内で起きている「戦争反対」の運動が拡大するよ

うに情報戦を仕掛けることである。ロシア人は辛抱することには慣れている。生半可な

経済制裁など役に立たず、むしろロシア国民を団結させる可能性がある。

プーチンがやることに“まさか”はないが、今回ロシア国民に起きている変化は、もしか

すると彼自身が“まさか”と思うような事態の始まりかも知れない。

                           2022.02.28